欧米の小説や映画には水やミルクは出てこなくても、ワインやお酒は必ず登場します。今回は、ボルドーの赤ワインがスタイリッシュに、そして印象的に出てきて重要な役割をする小説を紹介します。
ここで取り上げる小説は『マルゴォの杯』という全68ページの中編。登場するワインはタイトルからも分かるようにシャトー・マルゴーで、しかも大当たり年の1945年物です。
ボルドーの頂点にある5つの1級シャトーの中で、ビジュアル的に最も男性的なのがシャトー・ラトゥールでしょう。塔の上でライオンが吠えています。
一方、最もエレガントなのが、シャトー・マルゴー。女性の名前でもあることから、1級シャトーの中で最もフェミニンなイメージがあります。そのため、アーネスト・ヘミングウェイが孫娘にマーゴと名前を付けました(これが、モデルにして女優のマーゴ・ヘミングウェイです)。
シャトー・マルゴーが登場する小説は世界中にたくさんありますが、日本代表は赤江瀑が書いた『マルゴォの杯』で決まりです。
今回紹介する小説
赤江漠(1977)『マルゴォの杯』 角川文庫
「マルゴー的な耽美派」作家
まずは、著者の赤江瀑について。
赤江は、児童向けだけれど少し不気味でインパクトの強い詩を書いた金子みすゞと同じ下関出身です。赤江の作品には、バレエ、歌舞伎、能楽者、刀剣師、刺青師が登場し、芸術に憑りつかれた人間を美しく妖しく官能的に、みやびに書いています。いわゆる「耽美派」ですね。
瀬戸内晴美は「泉鏡花、永井荷風、谷崎潤一郎、岡本かの子、三島由紀夫のあとに、中井英夫や赤江瀑がつづく」と言ったそうです。赤江瀑と、サンテステフ村なのに軽快でスタイリッシュな赤ワイン「オー・マルビュゼ」が好きな私は「確かにその通りだよね」と思います。
今から30年~40年前、角川文庫が「読んでから見るか、見てから読むか」という「小説と映画のセット戦略」を進めていたことを記憶している方もいるでしょう。初代のスター作家がミステリーの大御所、横溝正史で、金田一耕助シリーズが小説と映画の両方で大ヒットしました。以降、森村誠一、大藪春彦、半村良、赤川次郎が続きます。
赤江は、1974年に『オイディプスの刃』で第1回角川小説賞を受賞し、1986年に同作品が映画化されて角川路線を歩みました。妖しく怪しい世界をテーマにする赤江の作品は、『セーラー服と機関銃』みたいに明るく陽気な赤川次郎ワールドとは正反対だったため、大ヒットはしませんでしたが、1984年『八雲が殺した』で第12回泉鏡花文学賞を受賞したこともあり、少数ながら熱狂的な赤江ファンが増えたことは確かです(私もその一人です)。
赤江の作品には、蛇が脱皮する瞬間を見るように妖しく美しく不可思議さが満載。実際、『マルゴォの杯』にも蛇が脱皮し残った皮が風でかさかさ鳴るシーンがあります。
妖しいストーリーの展開……
『マルゴォの杯』のストーリーに登場するのは、美人だけれど仲が悪い坂崎家の姉妹が二人だけ。姉が綱江で妹が凌子。
綱江は、両親が興した砂糖会社「坂崎」を継いだものの倒産してしまいます。
金策のため相続した山荘を売り、明日は人手に渡る最後の夜。妹の凌子が15年ぶりに山荘を訪れ、シャトー・マルゴー1945年を飲みながら食事をします。
お互い40歳前後。姉の持ち物を何でも欲しがった妹の凌子は、綱江の夫・卓也まで「盗んだ」ため二人は15年間、没交渉。
そんな姉妹だけの最後の夜に飲むマルゴー。姉が凌子に言います。
「マルゴォを冷やして飲むなんて、人が聞いたら笑うでしょうけど、あなたはそうしなきゃだめなのよね。冷やしといたわ。ゆうべっから、下の谷水につけといたの」
ワインは泥酔するほどアルコールは強くなく、でも、胸の想いを隠すほどは弱くはありません。
これまでお互いが胸に秘めていた相手への想い、恨み、怒りがマルゴーの酔いでほとばしります。知らなかったことが次々に現れ、マルゴー1945年のように熟成し、複雑な感情が絡み、最後には鮮やかなどんでん返しがあります。
『マルゴォの杯』は全部で68ページ。1ページごとにマルゴーを10cc飲むと、読み切るまでに、ほぼ1本飲んでしまいますね。
圧倒的なオーラのある人へ
本編を読み終えると、マルゴーを1本飲み尽くした時のような満足感、贅沢感、余韻に浸るでしょう。シャトー・マルゴーは、ブドウではなく、ルビーを搾って造ったワインだと思います。
そして「やっぱりこの小説はシャトー・マルゴーでなきゃならない」と納得するはずです。「スタイリッシュな不幸」にはマルゴーがよく似合います。
マーゴ・ヘミングウェイのように謎に満ち、エレガントなのに圧倒的なオーラのある人へ、最高のプレゼントがシャトー・マルゴーです。ぜひ、本書を添えてどうぞ。
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