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シャンパーニュのメゾンでは、エペルネの代表がモエ・エ・シャンドンなら、ランスはポメリーで決まり。シャンパーニュの生産量、メゾンの規模と敷地の広さ、世界的な知名度や歴史を考えると、誰しもそう思います。
今回は「シャンパーニュの3人の女傑」の一人、ルイーズ・ポメリーが凄腕を振るい超名門メゾンに育てたポメリーを取り上げます。キーワードは「世界初の辛口シャンパーニュ」、『落穂拾い』、「ノーベル賞」。この3つがポメリーで1つに収束しました。
目次
銀行も仰天したマダムの決断
ポメリーの前身は、1836年にナルシノ・グレノがランス(注1)に設立したメゾンです。1856年、ルイ・アレクサンドル・ポメリーが同メゾンを買収して社名を「ポメリー・エ・グレノ」と改めました。
ポメリーで圧倒的に有名なルイーズ・ポメリーは、ランス市の東北に50km離れたアルデンヌ地方のアネル村で生まれました。1839年にルイと結婚。ルイがポメリー・エ・グレノの経営権を握り、さあこれからという2年後の1858年、ルイが死去します。
結婚の6年後に未亡人となったのがヴーヴ・クリコのマダム・ポンサルダン。マダム・ポメリーの場合は結婚の19年後ですが、メゾンが立ち上った2年後と非常に急です。
クリコ未亡人の大活躍に触発されたのか、マダム・ポメリーはメゾンを引き継ぐ決心をしました。39歳の時です。
1805年にメゾンを継いだクリコ未亡人の時もそうですが、クリコ未亡人の大活躍から50年以上経った1858年でも、フランスは男性社会で、女性がビジネスをするなんてまだまだ考えられなかった時代でした(注2)。
豪快なマダム・ポメリーは、世間を見返すため事業を拡大しようとしましたが、銀行が融資してくれません。しかも、メゾンの経営状態が悪化していると根も葉もない噂が流れました。なんとかしなければなりません。そこでマダムは大胆な行動に出ました。
なんと、ジャン=フランソワ・ミレーが描いた超有名な絵、『落穂拾い』(原題はLes Glaneuses、1857年画)を30万フランで買ったのです。『落穂拾い』(注3)は、今では世界の名画トップ10に入り、中学校の美術の教科書にも出てくるほど有名な絵です。
夫人の大胆さに驚いた銀行がぞくぞくと融資を申し出て、以降、ビジネスが好転しました。
誰もが知っているミレーの名画『落穂拾い』
なお、『落穂拾い』ですが、マダム・ポメリーが70歳で死去した1890年、ルーブル美術館へ寄贈。シャンパーニュの人々は二度ビックリしました(『落穂拾い』は、1986年にオルセー美術館に移りました。)。
マダムは、シャンパーニュとランス市の発展に巨大な貢献をしたとして、女性で初めて国葬になりました。2万人が葬儀に訪れ、当時の大統領、マリー・フランソワ・サディ・カルノーも出席しました。
また、マダムが薔薇を好きだったことから、栄誉を称えるため、関係の深かったモンターニュ・ド・ランス地方のシニー村(1級格付け)の名前をシニー・レ・ローズに変えました。
(注1)「Reims」をランスと読めないフランス人多いそうです。「斑鳩」を「いかるが」と読めないようなものでしょうか。
(注2)海外の人には「日本といえば東京」のイメージが強く、逆に日本人は、フランスといえばパリ、アメリカはニューヨークを連想し、進歩的で女性が活躍している印象がありますが、地方では、まだまだ男性社会です。ボルドー、ブルゴーニュ、シャンパーニュには女性醸造責任者はほとんどいません。アメリカのワイン界では、ハイジ・バレット、ヘレン・ターリー、ミア・クライン、キャシー・コリソンの「四大女性醸造家」が活躍していて、女性にたくさんチャンスがあるように見えますが、内陸に入ると男性が圧倒的に威張っています。英語のイディオムで「a rule of thumb」は、文字通りは「親指の規則」で「経験則」とか「ざっくりしたやり方」の意味ですが、私の知り合いのアメリカ人は、「ジョークだけど、親指より太い棒で奥さんを殴ってはいけないというルールから来たんだよ」と笑っていました。
(注3)19世紀のフランスの農村部には、刈り取りが終わって、畑に残った麦の落穂は、貧しい人達のためにそのまま放置する習慣がありました。なので、『落穂拾い』は、のどかな田園風景ではなく、生活の厳しさ、貧しい暮らしを描いた絵です。
大的中したマダムの予想
マダム・ポメリーの肖像をテーマカラーの青で描いたものポメリー社のウェブサイトより
マダム・ポメリーの有名な言葉として「ポメリーは、石灰石と夢でできている」「誰の真似もしてはならない、たとえ自分自身であっても(注4)」など、いろいろありますが、マダムの最大の功績にして大英断は、辛口のシャンパーニュを造ったことでしょう。
現在、シャンパーニュは辛口のブリュットが圧倒的に多いのですが、当時は超甘口でした。これは、大得意のロシアの嗜好に合わせたもので、寒いロシアではエネルギー補給として甘い物を求めたのでしょう。シャンパーニュはロシアではデザートでした。
ドサージュとして加える砂糖の量が200gなんて当たり前、300gというシロップ顔負けのものもありました(糖度がこのレベルになると、角砂糖を入れても溶けないかも知れません)。
先見の明があったマダムは、メゾンを引き継ぐとイギリス市場に注目しました。「これからの市場はロシアでなくて英国だ」、そう判断したマダムはイギリス人の嗜好がロシアと正反対の辛口好きと見抜き、イギリス人向けに加糖の量を極端に少なくしたブリュット・ナチュールを発売しました。1874年のことです。
食後のデザートではなく、食事の最中に、一緒に飲んでもらおうと思いました。これが、現在主流になっているブリュットです。
マダムのこの「大転換」は、例えば、甘くないアイスクリームを作るようなもので、当時のシャンパーニュの誰も考えませんでしたし、想像もできなかったでしょう。
イギリスに狙いを絞り、1861年にはロンドンに代理店を設立。マダムの予想通り、英国はシャンパーニュ最大の輸入国になりました(2017年に、アメリカに抜かれて2位に。ちなみに日本は3位です)。マダムには、「大胆素敵」という言葉がぴったりですね。
そんなマダムのDNAは、メゾンにしっかり引き継がれました。例えば、1930年代には「VPスプリット」という200ml入りのボトルでシャンパーニュを販売します。現在、飛行機で出るキャール・サイズの走りです。スプリットは、レギューラーサイズを分割(スプリット)したことを意味し、ハーフやキャールですが、今では、四分の一ボトルを指すようになりました。
(注4)「自分の真似をする」のは不思議な言葉ですが、例えば、パリの町並みを素朴に描いた有名な画家、モーリス・ユトリロは晩年、画想が枯れ、自分で自分の絵を真似して描いたそうです(その荒れた感じがイイという愛好家もいます)。
経営者が転々……
マダム・ポメリーが亡くなった後、経営陣が目まぐるしく変わります。
まず、広く資金を集めるため、1968年、パリ証券取引所で株式の公開をしました。1979年にランソン社を所有していたクサヴィエ・ガルディニエが筆頭株主となり、経営権を握りました(ガルディニエは、1985年には、サンテステフ村の老舗、フェラン・セギュールを買収し、巨大な資本を投じて同シャトーを大改修しています)。
1984年には、ポメリー家とガルディニエ家が、BSN(Boussois-Souchon-Neuvesel)(注5)に持ち株を譲渡。BSNは、1990年、ポメリーとランソンを31億フランでモエヘネシー・ルイヴィトン(LVMH)に売却します。
ポメリーはさらに、2002年にベルギー系のヴランケンに買収され、現在では、ヴランケン・ポメリー・モノポール社としてシャンパーニュを製造販売しています。優雅なポメリーですが、意外にいろいろ苦労しています。
(注5)元はガラスを生産する会社でしたが、吸収合併をを重ねて、最終的にはヨーグルトで有名な「ダノン」名になります。
ノーベル賞の常連
実はポメリーは、ノーベル賞と非常に深い関係があります。受章祝賀晩餐会は、いつもストックホルムの市庁舎の「青の広間」で開催されます。参加者人数は、受章者と配偶者、関係者も含めると軽く1,000人を越えます。お祝いの晩餐会なので、シャンパーニュは欠かせません。
20世紀(1901年)から、晩餐会での「最多出場」シャンパーニュがポメリーなのです。全部で21回。2位がモエ・エ・シャンドンで13回。ドン・ペリニヨンの3回分を入れても及びません。以下、G.H.マムの10回、ルイ・ロデレールの9回、クリュッグの7回が続きます。
以下にポメリーが提供された年代と銘柄、日本人受賞者を挙げます。川端康成もポメリーで乾杯したのです。
年 | 提供された銘柄 | 日本人受賞者 |
1925年 | Pommery Américain | |
1960年 | Pommery & Greno Brut | |
1961年 | Pommery & Greno Brut | |
1962年 | Pommery & Greno Brut | |
1963年 | Pommery & Greno Brut | |
1964年 | Pommery & Greno Brut | |
1965年 | Pommery & Greno Brut | 朝永振一郎(物理学賞) |
1966年 | Pommery & Greno Brut | |
1967年 | Pommery & Greno Brut | |
1968年 | Pommery & Greno Brut | 川端康成(文学賞) |
1976年 | Pommery & Greno Brut | |
1977年 | Pommery & Greno Brut | |
1978年 | Pommery & Greno Brut | |
1983年 | Pommery & Greno Brut | |
1997年 | Pommery 1991 | |
1998年 | Pommery 1991 | |
1999年 | Pommery 1992 | |
2000年 | Pommery 1992 | 白川英樹(化学賞) |
2001年 | Louise Pommery 1989 | 野依良治(化学賞) |
2005年 | Pommery Grand Cru Vintage 1995 | |
2006年 | Pommery Grand Cru Vintage 1996 |
ちなみに、祝賀晩餐会の動画を見ると、狭い会場にモーニングやイブニングドレスで正装した来賓が一列に並べたテーブルに着いているのが分かります。
1,200人以上着席するので、物凄い狭さ。一人がテーブルに占めるのは50cmぐらい、背中側に座っている人とは30cmほどしか空いておらず、ギャルソンやソムリエは、ヒラメのように、横に動かないとサービングできないように見えます。
これだけ狭いとマグナム・ボトルでサービングするのは無理と思っていたら、なんと、2002年にドン・ペリニヨンのマグナムが出ました。これが祝賀晩餐会初のマグナム・ボトルで、以下のように3年連続で出ます。
年 | 提供された銘柄 | 日本人受賞者 |
2002年 | Dom Perignon vintage 1992 Magnum | 小柴昌俊(物理学賞)、田中耕一(化学賞) |
2003年 | Dom Perignon vintage 1993 Magnum | |
2004年 | Dom Perignon vintage 1995 Magnum |
ちなみに、どんな基準で祝賀晩餐会のシャンパーニュを選んでいるのかは全く不明です。誰でも知っている超有名メゾンなのに、1901年から1回も出ていないのが、ヴーヴ・クリコとローラン・ペリエの2つ。「ノーベル賞の7不思議」の1つです。
難関のポメリー・ソムリエ・コンクール
ポメリーは、シャンパーニュ・メゾンに珍しく、日本でソムリエ・コンクールを主催しています。
最初は「ポメリー・ソムリエ・スカラシップ」で、「キュヴェ・ルイーズ・ポメリー・ソムリエ・コンテスト」と名前を変え、今は「ポメリー・ソムリエ・コンクール」となりました。
シャンパーニュに特化した設問ばかりと思いがちですが、通常のソムリエ・コンクール同様、ソムリエが扱うあらゆる飲み物が対象です。
2006年11月9日、帝国ホテルで開催された「第5回キュヴェ・ルイーズ・ポメリー・ソムリエ・コンテスト」の最終審査の取材に行った時、試飲では、フランス、イタリア産だけではなく、日本、ハンガリー、アルゼンチン産ワイン、芋焼酎やウィスキーまで出されます。マルベックみたいな品種をずばっと当てた選手もいて驚きました。
みんな苦労したのが意外にもシャンパーニュを抜栓して注ぎ分ける課題でした。8個のグラスに均等に注ぐ課題で、グラスを重ねるごとに量が増える選手が何人もいて、見ている側はドキドキします。当の選手が「ドレミファソラシドって音がしそうですね」と言ったため、会場が爆笑となりました。物凄い緊張感の中、この鋭い切り返しは素晴らしい。
ソムリエ・コンクールでは、こんな筋書きのないドラマが生まれるので、一度見学することをおススメします。
ポメリーに行こう!
英国式のネオ・エリザベス様式によるポメリーの建物ポメリーのウェブサイトより
ランスにあるポメリーのメゾンは、55ヘクタールもの広大な庭園がある英国式のネオ・エリザベス様式の立派な建物です。同社は、観光客の訪問を大歓迎していますので、ぜひ自分の目でご覧ください。
メゾンはランス駅から直線距離で2.5km。ランス駅前からD944に沿って、南東に30分も歩けば左側にオレンジと白のストライプがカッコいい壮大な壁が見えます。これがポメリーです。
メゾンの門は、12月25日と正月三ヶ日以外は開いています。土日祝日は休みというメゾンが多い中、ポメリーはサービス満点ですね。見学には、30分コースと1時間コースがあり(どちらも有料)、試飲も可能です。
もし、シャンパーニュへ行くのなら、半日かけて、ポメリーの周辺を歩いてみてはいかがでしょうか?ポメリーの半径500m圏内には、ルイナール、テタンジェ、ヴーヴ・クリコ、ドモワゼルなど、有名メゾンが密集していますし、世界遺産もあります。
まず、ランス駅からD944ではなく、南東方向の脇道に入り、世界遺産のノートルダム大聖堂の前を通って、同じく世界遺産のサン=レミ聖堂経由でポメリーへ行くことをおすすめします。駅前からゆっくり歩いて1時間。2つの世界遺産だけでなく、ブルゴーニュのボーヌ、同じくシャンパーニュのエペルネと並びフランスでトップ3の裕福な町、ランスを肌で感じることができます。
ポメリーのシャンパーニュのラインナップ
ポメリーのシャンパーニュの基本的な構成は、シャルドネ、ピノ・ノワール、ピノ・ムニエが1/3ずつ。したがって、黒ブドウの比率が2/3と高いせいか、エレガントというより、男臭く、豪快で豪腕の武士みたいな雰囲気があります。
男臭いシャンパーニュとしてボランジェが有名ですが、私には、ボランジェが三尺の大太刀を背負い裸馬で百里を駆ける野武士なら、ポメリーは朝5時に起きて剣の稽古に励む真面目な江戸の武士のイメージがあります。
ポメリーには、以下のようにいろいろなシャンパーニュが揃っています。状況に応じて、うまく使いこなせると、「シャンパーニュのプロ」ですね。
ブリュット・ロワイヤル
辛口のブリュットを最初に造ったポメリーの看板的シャンパーニュがこれです。マダム・ポメリーのプライドと意地が750ml詰まっています。
ポメリーが辛口を初めて造った150年前、日本では明治6年で、激変の時代。まだ江戸時代の名残がしっかり残っていました。これを飲みながら、甘口から辛口へ時代が大きく変わったことを感じていただければと思います。
ブリュット・ロゼもあり、赤白のコンビでプレゼントすると、物凄くオシャレ。
ポメリー ロイヤル・ブルースカイ
辛口の先駆けとなったポメリーには珍しく、半甘口です。そのまま飲めばデザートワインとして楽しめますし、氷を入れるとすっきりした蜂蜜の甘さがあるシャンパーニュとして楽しめますね。
冬の寒い日のパーティーで、いきなり、極辛口のシャンパーニュを飲むと胃袋が凍えますが、これをウェルカム・ドリンクとして出すと、ほのかな甘みのおかげで、物凄くほっとするはずです。
ポメリー・ミレジメ・グラン・クリュ
辛口シャンパーニュが看板のポメリーのビンテージ・シャンパーニュがこれです。さすが、老舗の味わいですね。
ポメリー キュヴェ・ルイーズ
ポメリーのプライドと技術、マダム・ポメリーへの敬意を750ml詰めたのがこれです。同社の最高峰で、初ビンテージは1985年。ほのかなカシューナッツの香りが秀逸。シャルドネ65%、ピノ・ノワール35%、
アパナージュ・ブラン・ド・ブラン
白ブドウのシャルドネだけで造ったブラン・ド・ブランの逸品。石灰岩のカーヴの中で3年半も瓶内熟成させていて、それが、ほのかなカシューナッツの香りに表れています。(ロゼもあります)
春夏秋冬シリーズ
ポメリーのユニークなシャンパーニュが、春夏秋冬に合わせた「四季シリーズ」。春はロゼ、夏はシャルドネだけのブラン・ド・ブラン、秋はエクストラ・ドライのブラン・ド・ブラン、冬は黒ブドウだけのブラン・ド・ノワール。品種とブレンドの比率は以下の通り。
・スプリングタイム:ピノ・ノワール60%、シャルドネ25%、ピノ・ムニエ15%
・サマータイム:シャルドネ100%
・フォール・タイム:シャルドネ100%
・ウィンタータイム:ピノ・ノワール 70%、 ピノ・ムニエ 30%