1人の男の情熱が造り上げたワインカンパニー「バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド」
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我は1級なりしが、かつては2級なり、されどムートンは変わらず(PREMIER JE SUIS, SECOND JE FUS, MOUTON NE CHANGE)。1973年、史上唯一の昇格を果たしたシャトー・ムートン・ロスチャイルドのラベルに、そう記したのはバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドの創業者フィリップ男爵です。
バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドは、シャトー・ムートン・ロスチャイルドやオーパス・ワンから、世界で最も飲まれているボルドーワイン「ムートン・カデ」まで、幅広いレンジのワインを手掛けるボルドーを代表する一大企業として知られています。
ところが実は1922年、ブドウ畑に魅入られた青年が引き継いだのは荒廃した“2級”シャトーのみでした。「1級シャトーを擁するボルドーの大企業」という現在のイメージは、生涯をワインに捧げたフィリップ男爵が一代にして築き上げたのです。
むしろバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドの本質は、革新的で新しい取り組みを続ける情熱的な生産者と言えるでしょう。
ブドウ畑に魅入られた青年
シャトー・ムートン・ロスチャイルドは、元々ロスチャイルド家が所有していました。しかしフィリップ男爵は、ロスチャイルド家の一員としてシャトーを発展させることを約束されていたわけではありません。
パリで生まれ育った彼がシャトーに訪れたのは、第一次世界大戦中のパリから疎開した16歳が初めて。その際にボルドーでの田舎暮らしを、過保護に扱われていたパリ暮らしよりも心地よく感じ、戦争が終わった後もしばしば訪れたそうです。
そうこうしているうちに、フィリップ男爵はブドウ畑に魅入られていきます。そして同時に、シャトーが荒廃していくことを感じ、ブドウ畑に興味のない父アンリに経営を自分に任せてくれと直談判したのです。
かくして、後に世界のワイン産業を牽引することになるバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドの誕生です。フィリップ男爵、弱冠20歳の時のことでした。
古き慣習との決別
シャトーの経営者として着任したフィリップ男爵は数々の改革を行い、シャトー・ムートン・ロスチャイルドの品質を著しく向上させました。その改革の幾つかはワイン業界にとっても革命的なことでしたが、特に影響が大きかったのが「生産者元詰」。
20世紀初頭まで、生産者はワインを樽で販売し、それを買い取ったネゴシアン(仲買業者)が瓶詰めを行うのが伝統的な慣習でした。しかし、悪質なネゴシアンは他のワインを混ぜたり水で薄めるなど、まさに水増しをして販売していました。
そのためフィリップ男爵は、ネゴシアンに瓶詰めを任せていては、どれだけ良いワインを造っても消費者に届くワインの品質を保証できないと考え、シャトーで瓶詰めを行い始めました。これは瓶詰めしたワインを保管しておくセラーをはじめ、ラベルやコルク、出荷用のケースなど膨大な準備が必要になり、言葉で聞く以上に大変なことです。
しかしボルドーでは1924年、ワインビジネスに参画してから僅か2年ほどのフィリップ男爵が周囲のシャトーに呼びかけて始めたことでした。若い新参者だからこそ、既存の枠組みに疑問を抱き、実現できたことかも知れません。
消費者を裏切らないための格下げ
90年代に普及したセカンドラベルや、ブランドワインの先駆けともいえる「ムートン・カデ」もフィリップ男爵が生み出した革新的なアイデアでした。
ムートン・カデが生まれたのは、ボルドーが歴史的な悪天候に見舞われた1930年のこと。不作のブドウで造った低品質なワインを「シャトー・ムートン・ロスチャイルド」の名で販売しては、消費者の信用を失ってしまうのではないかとフィリップ男爵は懸念を抱きます。そこで、法的に格下のACボルドーとしてワインを販売することに決めました。
今日でも、生産者は自分たちの看板を掲げるに値しないと判断した不作年のワインを格下げして販売することはありますが、そんなことをしているのは極一部の優良生産者に限られます。1年間苦労してブドウを育てたにも関わらず、その年の収入が数分の1になってしまう決断になるからです。
そんな決断を、現在ほど品質本位のワイン造りが行われていなかった1930年当時に出来たのは、フィリップ男爵が自分のワインに誇りを持ち、消費者のことを第一に考えていたからに他なりません。
そのため、リリースの際にはムートンと間違われないようにムートン・カデ(ちびムートン)とわかりやすい名前をつけ、さらにラベルも慎重にデザインしたそうです。
このムートン・カデは手ごろな価格と美味しさで大ヒット。その後は買いブドウから造るブランドワインとして、シャトーの財政を支える存在となりました。今では150カ国以上で楽しまれる世界で一番飲まれているボルドーワインです。
このようなフィリップ男爵の数々の努力が実り、1973年、シャトー・ムートン・ロスチャイルドはボルドー・メドック格付けの歴史上唯一となる昇格を果たします。フィリップ男爵がシャトーの経営を引き継いでから約50年後、71歳の時のことでした。
飽くなき情熱
悲願の1級昇格を果たした後も、フィリップ男爵のワイン造りへの情熱は冷めることはありませんでした。1979年にはカリフォルニアで、ジョイントベンチャーワインの先駆けであるオーパス・ワンを生み出します。
カリフォルニアワインがフランスワインに勝利した、かの有名な「パリスの審判」が1976年だったことを考えると、フィリップ男爵の先見性とチャレンジ精神には驚かされます。
カリフォルニア側の協力者は、カルフォルアワインの立役者ロバート・モンダヴィ氏。生まれも育ちも全く異なる二人でしたが、ワインに対する情熱が二人を繋ぎ、すぐに意気投合したそうです。
ロバート・モンダヴィ氏はカリフォルニア最高のブドウを提供、フィリップ男爵は当時のシャトー・ムートン・ロスチャイルドの醸造長を送りこむなど、惜しみなくボルドーの技術を提供し、オーパス・ワンが誕生しました。
結果としてこのプロジェクトはボルドーの最新技術をカリフォルニアに伝え、カリフォルニアワイン産業の発展にも貢献。そしてその後続々と、カリフォルニアに進出するフランスの生産者も増え、ジョイントベンチャーワインも世界中で誕生することになりました。
継承される熱き想い
フィリップ男爵は1988年に亡くなり、バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド社は男爵の娘へ。そして今では3人の孫たちに引き継がれています。しかしフィリップ男爵の情熱は、今も脈々と継承されています。
例えば、男爵の造ったムートン・カデは様々な農家が栽培した買いブドウ100%で造られていましたが、2004年に改革に乗り出し、2015年には全てのブドウが契約農家から供給されるようになり格段にクオリティが向上しました。
フィリップ男爵の熱い想いが、バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド社を革新的なチャレンジを続ける世界屈指のワインメーカーたらしめているのです。
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