「ムートン美術館物語 」その1-ラベルを毎年変えるに至ったわけ-

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公開日 : 2018.5.25
更新日 : 2023.7.12
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毎年、ラベルのデザインを変えることで世界的に有名なのが、ボルドー、メドック地区、ポイヤック村の1級シャトー、ムートン・ロスチャイルドだ。

これから本コラムで、各ヴィンテージの絵を取り上げて細かく解説する。記念すべき第1回は「なぜ毎年、ラベルのデザインを変えるようになったか?」を推理する。

目次

アート・ラベルシリーズの収集は「ワイン愛好家」の夢

五大シャトーの1つとして、銀河系で最高の栄誉を受けているのがムートンで、1945年にアート・ラベルのシリーズがスタートした。

同年から最新のボトルまで、全てを収集するのが世界の「ワイン愛好家」の夢とも言える。さて、全て揃えるのにいくらかかるのだろうか?2015年2月2日のサザビーズ社のオークション@香港では、1945年から2012年までの66本(1958年と1963年は欠番)のワインに、予想落札価格の3倍となる37万6900ドルの値が付いた。

ボルドーの需要が高騰している今、「コンプリート」はおそらく5,000万円ぐらいか。ムートンの面白いところは、通常のワインは良いヴィンテージが高価で不良年は安くなるが、ムートンではその逆になること。気候不順の年は、葡萄の出来が悪く収穫量も少ないため選別も厳しいのだ。

ワインの生産本数は良年の1割前後と僅少となり、熟成が期待できないので若いうちに飲んでしまい、ほとんど残らない。雀の冷や汗ほどの少ないワインをコレクターが買い漁り、不良年のムートンは非常に高価になるのだ。

なぜ、毎年ラベルの絵を変えるようになったのか

なぜ、ムートンがラベルの絵を毎年変えるようになったか?評論家は、「ワインと芸術の融合」と言っているが、伏線となっているのが「同じロスチャイルド家のラフィットに対する強烈なライバル心」だと私は推理する。あくまでも私の推理だが…。

ロスチャイルド財閥の創始者、マイアー・アムシェル・ロートシルトには男子が5人いた。三男がネイサン・メイアー・ロートシルト。そのネイサンの三男である、ナサニエル・ド・ロートシルト男爵は1853年にシャトー・ブラーヌ・ムートンを購入し、名前をシャトー・ムートン・ロートシルトに変えた。

ロスチャイルド家は銀行業で巨額の財をなしたが、フランスでは金貸しの社会的地位は低い。「富を築いたら、次は名誉」は世界共通だ。そこで、「階級ロンダリング」として、芸術家と共に、社会の最高階層として尊敬を受けるワイン業界に参入したと思われる。

買収して2年後、まだ、荒れたシャトーの改修ができていないうちに、ばたばたと「1855年メドックの格付け」が決まり、ムートンは2級となった。

一方、ロスチャイルド家の創始者、マイアー・アムシェル・ロートシルトの五男がジェームス・ド・ロートシルト男爵で、ナサニエルがムートンを買った15年後の1868年、シャトー・ラフィットとシャトー・カリュアドを444万フランという当時では破格の大金で競り落とした。

自分の甥が所有しているムートンは2級なので、何としても1級シャトーを欲しかったに違いない。念願が叶ったジェームスは、競売の3ヶ月後に死去する。

ナサニエルは、自分のムートンが2級、叔父さん(伯父さんではなく)のラフィットが1級なのが気に入らない。この時から、4代に渡り、「ムートン昇格大作戦」が始まる(と私は思っている)。

フィリップ男爵の革命的な一手とは

1922年、20歳の誕生日に4代目としてムートンを相続したフィリップ・ド・ロートシルト男爵は、ムートンの1級昇格に命を懸け、政治活動を展開すると同時に、ムートンの品質を上げて世間の注目を集めようとした(「静」のラフィット、「動」のムートンだ)。そして、当時のワイン業界を仰天させた「フィリップ男爵の革命的な一手」が、「シャトー元詰め」だ。

当時はワインは樽で販売し、ネゴシアンが瓶詰めを行っていたが、心掛けのよくないネゴシアンは、安いワインを混ぜたり水で薄めたりしていた。フィリップは、これでは品質を保証できないと考え、シャトーで瓶詰めすることを決意する。弱冠22歳の時だ。

シャトー元詰めやドメーヌ元詰めは、今では当たり前になったが、当時は誰もやっていない非常に革命的なことだった。シャトーで瓶詰めするには、ボトルとコルクを用意し、ボトルを収める木箱を調達し、ラベルも貼らなければならない。また、ボトルを保管する広大なスペースも必要となり、膨大な金と時間がかかるのだ。

シャトー元詰め第1号のラベルを紐解く

1924年 ジャン・カルリュのラベル

シャトー元詰めにする場合、ラベル(コルクの焼印も)の記載事項が非常に重要になる。

シャトーがそのワインを保証するために、ラベルを見れば、誰がいつ作り、どんなワインかが一目で分からなければいけない。この画期的な出来事を大々的に宣伝し、ラベルの重要性を強調するため、シャトー元詰めの第1号となる1924年のラベルは、石鹸の外箱など日用品の商業デザイナーだったジャン・カルリュに依頼し、デザイン性の高い豪華なラベルになった。

また、「Ce vin a ete mis en bouteille au chateau(このワインはシャトーで瓶詰めした:英語なら、そのまま、This vine was put in bottle at chateau)」と大きく書いた(今は、「mis en bouteille au chateau」だけ)。

ジャン・カルリュの絵には、ロスチャイルド家のシンボルである5本の矢(5人の子供が団結する意味があり、毛利元就の「3本の矢」みたいなもの)と、羊がデザインしてある。

いろんな本に、この絵はキュビスムの影響を受けていると書いてあるけれど、私には「???」だ。キュビスムは、セザンヌがアイデアを出し、ピカソが「完成」させた画法で、物をいろんな角度から見て描くこと。

例えば、テーブルに乗った物の絵を描く場合、コーヒーカップは斜め上から見て、パンは下から見上げた形、ワイングラスは横から見た姿を描く(なので、テーブルから物が落ちそうな絵になるはず)。

あるいは、女性の顔をいろいろな角度で5枚撮影し、5枚の写真をキチンと重ねてハサミで切り、ジグソーパズルのピースをあてはめるようテキトーに写真を選ぶと、目玉が3個ある「キュビスムの絵」になる。カルリュの絵は、一方向から見て羊を描いているので、キュビスムと言えない気がする。

まとめ

「新企画の打ち上げ記念ラベル」で気が済んだのか、翌年以降、アート・ラベルを採用していない。次に絵が登場するのは、21年後の1945年だ。この年は、連合国が勝利して第二次世界大戦が終わった年であり、同時に、20世紀を代表する偉大なヴィンテージになった。

この二重の喜びを記念するため、ムートンのラベルは、戦時中、チャーチル首相がいつもポーズをしていた「勝利のVサイン」をモチーフにしたデザイン画を採用。以降、知り合いの著名な画家にラベルのデザインを依頼するようになる。以上が、ムートンのアート・シリーズの背景だ。

第2回目は、1945年の「初アート・ラベル」を取り上げる。

ボルドーワインフェアはこちら

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