その時、人々は何を飲んでいたのか?日本のワインブームを振り返る【後編】

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公開日 : 2020.5.6
更新日 : 2023.7.12
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前回、1995年の世界一ソムリエ誕生と赤ワイン健康法で空前の赤ワインブームが日本に到来。その際、脚光を浴びたのがチリワインだったという話を書いたところで紙幅が尽きた。

今回はその理由と、さらに2000年代に入ってからのトレンドについて語ることにしたい。

前編はこちらから

目次

チリワインの急成長

1995年には輸入量4万ケースに過ぎなかったチリワインは、1997年に50万ケースを突破。わずか2年で10倍以上の伸びを記録した。このような急成長は後にも先にも日本のワイン市場において初めての出来事である。

なぜこれほどの爆発的ブームがチリワインにおいて巻き起こったのか。ひとつは買いやすい値段、もうひとつが侮れない品質、そして最後にわかりやすさである。

バブル崩壊後の為替レートは円高基調で、1995年4月には1ドル=79円という当時の最高値を記録。さらに1991年の湾岸戦争による世界的不況からヨーロッパの高級ワインは販売不振に陥り、90年代半ばの東京では、ボルドーの1級シャトーさえ1万円台で買うことができた。すでにワインに親しんでいる人々にとってはまさに“ベルエポック”だが、そうではない大部分の人々にとって、いくら赤ワインが健康によいとすすめられても1万円をポンと出すわけにはいかない。

もちろん市場にはもっと低価格のワインもあったが、安いワインはそれなりの品質だし、コート・デュ・ローヌとかコトー・デュ・ラングドックと言われても、一般の人はまったく味の想像がつかなかったのである。

ところがこの頃、日本の市場で目にするようになったチリワインは、1000円そこそこの値段で十分美味しく、カリフォルニアに範をとった品種名表示のヴァラエタルワインというわかりやすさ。低価格で高品質な理由は、かの地の人件費の安さと恵まれた天候のおかげによるものだ。

赤ワイン健康法からポリフェノール豊富なカベルネ・ソーヴィニヨンが人気を得るのは当然の成り行きで、チリのカベルネ・ソーヴィニヨンを縮めた「チリカベ」という造語も販売促進に大きく貢献した。

当時の社会情勢を振り返るとバブル崩壊後の景気低迷期で、それに追い打ちをかけるような円高。1997年11月には当時4大証券会社のひとつだった山一證券が経営破綻し、まさに不況のどん底だった。人々の財布の紐は固くなるばかりだが、せめてワインでも飲んで優雅な生活を装いたいという気分だったのかもしれない。

またこの頃はいわゆるバブル世代が30歳前後で、可処分所得が大きく、高級車や不動産は無理としてもシャトー・マルゴーを1本買う程度の余裕はあった。ちなみに渡辺淳一の小説「失楽園」が映画化され、劇中登場するシャトー・マルゴーに注目が集まったのも1997年のことである。

テレビや雑誌では頻繁にワイン特集が組まれ、アカデミー・デュ・ヴァンをはじめとするワインスクールは大盛況。俳優の鈴木保奈美や川島なお美も通い、ワインタレントが生まれるほどだった。

こうして日本のワイン消費量は1998年に30万キロリットル、750mlボトルに換算して4億本を超え、一人当たりの年平均消費量は3本に届いたのである。

しかしながら、チリカベに支えられた赤ワインブームも1998年をピークに翌年は減少に転じる。祭りの後は過剰在庫に悩まされるという、10年前のボージョレ・ヌーヴォーと同じ過ちを業界はふたたび犯してしまった。

とはいえ人間、一度定着した習慣をそう簡単に変えることはできない。ワインの美味しさ、面白さ、奥の深さから逃れられない人々が一定数残った。また90年代の半ばまで、ワインは酒類業界でも傍流的存在で、ワイン業界を目指す人もごく限られていたが、このブームを契機にワインの販売やサービス、あるいは醸造の世界に自ら進んで志す人々が現れた。

このような90年代末のブーム以降、ワインの世界に飛び込んだ若者たちが21世紀になって新たなムーブメントを作っていくのである。

自然派ワインブーム

単純に数字だけを見ると、1998年のピークの後、日本のワイン消費量は2004年まで微減している。(2002年に少しだけ盛り返したが)。だがそこで一旦底を打ち、消費量は1997年レベルを維持。2009年以降は再び上昇に転じた。

この時もマスマーケットにおいて大きな役割を果たしたのはチリワインだ。とくに1000円未満の動物ラベルを各社がリリースするようになってから飛躍的に販売量を伸ばし、2015年にはとうとう、輸入量で王者フランスを抜いてしまった。

一方、よりコアなワイン愛飲家の嗜好は多様化。おそらくその中でも、一定の人々の間で大きな支持を集めたのが、2005年頃に広まった自然派ワインではないだろうか。

90年代に支持されたワインは主に、最新の醸造設備やカリスマ醸造家による、いわば「テクニカル」なワインだった。低温マセレーション、マイクロオキシジェネーション、200%新樽熟成などという言葉がワイン通の間で呟かれた。インターネットの普及が不十分なその当時、アメリカのワイン評論家・ロバート・パーカーが絶対的な信頼を勝ち取り、彼が好みとする、色が濃く、凝縮感に富み、オークのフレーバーが香ばしいワインが、世界中の市場を席巻した。

しかし、21世紀を迎えてワインを取り巻く状況は一変する。まず中国やロシアなど、新興のワイン消費国が台頭し、高級ワインの価格が高騰した。

例えばシャトー・ラフィット・ロスチャイルドの1999年ヴィンテージは、ロンドンのマーチャントにおけるプリムール価格が1ケース800ポンドに過ぎず、より品質の高い1995年ヴィンテージでさえ730ポンドだった。ところが2000年ヴィンテージはパーカーが100点をつけたうえ(その後、減点している)、ゼロが3つ続くマジックナンバーということもあり、2200ポンドに跳ね上がった。2001年、2002年、2004年の3ヴィンテージこそやや落ち着いたものの、2005年は3850ポンドをつけ、天候に恵まれなかった2007年でも2550ポンドの値をつけた。

もはやボルドーの1級シャトーは庶民の飲めるワインではなく、富裕層のラグジュアリーアイテムと化した。

飲み手の世代も変化した。90年代末のワインブーム時代に西麻布や六本木のワインバーで高級ワインを開けていたのは、おもにバブル世代のヤンエグ(死語)だったが、2000年代半ばはバブル崩壊後の就職氷河期を経験した世代が中心となる。ブランドに惑わされず、物質主義を強く否定する彼らは、より本質的なものをワインに求めた。味わい的にも濃さや強さより、薄くても深みのあるものを好む傾向が見られる。いわゆる「薄旨」である。

ちょうどその頃、パリのビストロでは「ヴァン・ナチュール」と呼ばれる、人の手の介入しないワインが人気を呼んでいた。ラフィットやマルゴーをありがたがって飲む人を横目でせせら笑い、マルセル・ラピエールのモルゴンやピエール・オヴェルノワのアルボワ・ピュピヤンに喜びを求めた。

こうしたワインがポストバブル世代から支持を得るのに時間はかからなかった。実際には六本木の「祥瑞」や銀座の「オザミ・デ・ヴァン」など、いち早くからヴァン・ナチュール=自然派ワインを提供するワインバーやレストランはあったが、それが爆発的に広がったのは2000年代半ばのことと思われる。

日本ワインの品質向上

そして2010年頃から顕在化し、今も続くのが日本ワインブームだ。醸造用ブドウの栽培に不向きとされる湿潤気候の日本で、質の高いワインを造るのは並大抵のことではない。しかし情熱をもった造り手がブドウ栽培から真剣に取り組み、ワイン通を唸らせる作品を生み出すようになってきた。生産量が限られるため、幻の存在となっている銘柄も少なくない。

山梨の甲州、マスカット・ベーリーA、長野のメルロー、シラー、北海道のピノ・ノワールなど、徐々にだが産地ごとに得意な品種も見えてきた。まだまだ玉石混交だが、日本ワインのファンは今後も増え続けるだろう。

原点回帰のジョージアワイン

そして今は原点回帰のジョージアワインに注目が集まり、そこから派生してクヴェヴリ(甕)仕込みのワイン、白ブドウやグリブドウの果皮を漬け込んだオレンジワインが話題を呼んでいる。大半のクヴェヴリワインやオレンジワインは酸化防止剤の添加がごく少量、ものによってはゼロであり、人の手の介入は最低限である。甲州の表現のひとつとして採用するワイナリーもあり、自然派ワインの支持者からも、日本ワインの支持者からも興味をもたれるジャンルとなっている。

ニューワールドに目を転じても、人の手の介入を極力排したワインが注目を集めている。カリフォルニアではジョン・ボネの著作「ザ・ニュー・カリフォルニアワイン」が発行されてから、濃厚さばかりを追い求めず、土地固有の風土を表現したエレガントなカリフォルニアワインが人気の的だ。オーストラリアでもアデレード・ヒルズのバスケット・レンジやヤラ・ヴァレーのブラディ・ヒルでは、従来のオージーワインの概念を変えるような非介入型のワインが造られている。

世界的にみてもワインのトレンドは、「非介入」の造りで、濃さや強さよりも「エレガンス」重視になっていると言ってよいだろう。かつては非介入の自然派ワインにつきものだった還元臭(豆臭)やブレタノミセス(馬小屋臭)といった醸造的欠陥による不快臭も、生産者や輸入元の努力で着実に減りつつある。

次にはいったいどのようなムーブメントが来るのか?こればかりは業界の中にいても、さっぱりわからないのである。

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