「チリワインブーム」の裏側

お気に入り追加

ディスカバー
公開日 : 2020.7.16
更新日 : 2023.7.12
シェアする

2回続けてお届けした日本のワインブーム史。大転換点となった1995~1998年のブームの背景に、チリワインの爆発的なブレイクを挙げた。

字数の都合でかなり端折ったので、今回はこのチリワインについて掘り下げてみることにしよう。

日本のワインブーム史について

目次

チリワインの歴史

チリにおけるブドウ栽培は、南米大陸の他のワイン生産国同様、スペインの宣教師が16世紀の半ば、ミサ用のワインを造るためブドウを持ち込んだことに始まる。

その品種名はパイス。カリフォルニアのミッション、アルゼンチンのクリオジャと同じ品種だ。カリフォルニアではとうの昔に淘汰されてしまったが、チリではまだ1万ヘクタールもパイスの畑が残っている。

フランスの優良品種の苗がチリに持ち込まれるのは、それから300年も後の19世紀半ば。鉱山開発で富を築いたドン・シルベストレ・オチャガビアが1851年に渡欧。ボルドー系のブドウ品種を中心に、大量の苗木を持ち帰った。実際にはそれより20年ほど前の1830年、チリ政府から招聘されたフランス人のクロード・ゲイなる学者がサンティアゴに試験圃場を作り、カベルネ・ソーヴィニヨンやソーヴィニヨン・ブランの植え付けを試みたらしい。オチャガヴィアの渡欧は、この試験栽培の結果を見てのことだろう。

しかしながら、カベルネ・ソーヴィニヨンやメルローを手にしても、すぐさまボルドーの特級シャトーのようなワインが出来るほど甘くはない。19世紀末にはフランスから技術者が来たとはいえ、その当時造られていたのはもっぱら庶民が水代わりに飲む、大量生産タイプのワインだった。

状況が一変するのは1979年だ。この年、スペインからミゲル・トーレスがやってきてクリコ・ヴァレーにワイナリーを設立。ステンレスタンクによる温度制御された発酵や、オーク樽を用いたワインの熟成から、洗練されたワインが生み出された。それまでのチリワインはラウリと呼ばれるチリ原産の木材の大樽で醸造された、やや酸化気味の重たい味わいだった。

ミゲル・トーレスの国際的なスタイルに他のワイナリーも感銘を受け、各社こぞってステンレスタンクを導入。ワイン醸造の近代化が進むこととなったのだ。

ミゲル・トーレスのチリ進出には、スペイン、そしてチリの政治的時代背景も絡んでいて興味深い。スペインは1939年の内戦終結後、独裁体制をとっていたフランシスコ・フランコが1975年に死去。フランコの遺命により王政が復活するが、独裁者亡き後の政治体制がどう転ぶかわからなかった。そこでスペインだけに事業拠点を置くのはリスクが高いと考えたミゲル・トーレスは、他の国に第二、第三の拠点を置くことを決意したのだ。

一方、チリは1970年に社会主義のアジェンデ政権が成立したが、アウグスト・ピノチェト将軍のクーデターによりわずか3年で崩壊。ピノチェトはその翌年政権に就くと、市場開放政策を推進し、諸外国からの投資を歓迎した。これに応じたのがミゲル・トーレスだったわけだ。互いにスペイン語圏という安心感も働いたことは想像に難くない。

かくしてワイン造りの近代化を進めたチリは80年代半ば、いよいよ国際市場へと打って出る。そのためにとったマーケティング手法が、カリフォルニアやオーストラリアを範にとったヴァラエタルワインであることは、前回のコラムですでに述べたとおりである。

90年代に入るとチリにとって思わぬ好機が巡ってくる。1990年頃からカリフォルニアのブドウ畑を新種のフィロキセラが襲い、多くのブドウ畑で植え替えを余儀なくされた。カリフォルニアワインは深刻な供給不足に陥り、アメリカの業者は代替となるワインを探し求めた。この需要に応えることが出来たのがチリワインだった。

また90年代半ば、日本の赤ワインブーム到来とともに脚光を浴びたのもチリワインだ。お手頃な値段、わかりやすいラベル、そして価格を超えた品質で、瞬く間に日本の市場を席巻した。最盛期にはチリワインを満載した船が横浜港に溢れ、着岸待ちで海上に足止めをくらった船があったとも聞く。

実はそれ以前から、日本でも業界内ではチリワインのコストパフォーマンスの高さは周知の事実だった。というのも国産ワインのブレンド用に、大量のチリワインがバルクで輸入されていたからだ。日本の消費者が日常生活の中で普通にワインを楽しむようになりさえすれば、チリワインがブレイクするお膳立てはすでに整っていたのである。

日本ではこれを機に、スーパーやコンビニの棚に常に置かれる「安旨ワイン」の代表という地位を確立。2007年に日本とチリ間で結ばれた経済連携協定(EPA)により、チリワインにかかる関税が段階的に縮小されると(2019年4月完全撤廃)、動物ラベルで再ブレイクした。

その後、他の国のワインが伸び悩む中、右肩上がりで上昇を続け、2015年には長年王者に君臨していたフランスワインを輸入量で抜き、ついに首位に躍り出る。日欧EPAの煽りを受けた昨年も、辛うじて1位の座を守り抜いた。

品質の進歩

……と、ここまではチリワインのコスパの優位性にのみ終始したが、以降はついつい見過ごされがちな品質的進歩について述べることにしよう。

筆者が初めてチリのワイン産地を訪れたのは1997年。まさにチリワインブームのど真ん中だった。ワイナリーではどこも、鈍色に光り輝くステンレス製の発酵タンクを自慢気に見せた。一方、ブドウ畑を見せてくれるワイナリーは皆無に等しかった。当時のチリワイン産業は醸造技術の近代化をアピールすることが第一で、ブドウ栽培は二の次だったと言って良い。

しかしそれから10年後、再びチリを訪れると状況は一変していた。ワイナリーを訪ねると挨拶もそこそこブドウ畑の案内から始まる。おかげで同行したカメラマンの黒いバッグは、取材終了時に砂埃にまみれ、白っぽくなっていた。

かつてのチリワインはおもに、海岸山脈とアンデス山脈との間にある、肥沃な平地で栽培されたブドウから造られていた。乾燥したチリでは原則的に灌漑が必須で、アンデスの雪解け水をそのままブドウ畑に流す、フラッドイリゲーションが行われていた。ヘクタールあたり20トンくらいのブドウが普通に収穫されていただろう。それでも不思議と充実感のあるワインが出来上がった。

ところが、2000年代になってワイナリーが「見ろ」という畑はそうではない。山肌の斜面に位置する畑や海に近い畑、あるいはアンデスの山麓に位置する畑だった。いずれも灌漑はチューブからポタポタと水滴の落ちる、ドリップイリゲーションである。

山肌の斜面は一般に土壌が痩せ、斜面の向きや標高ごとに最適なブドウ品種を植えることが可能になる。高品質なブドウを生み出す基本条件だ。

このような斜面のブドウ畑の元祖に、モンテスのアパルタの畑がある。モンテスのウルトラプレミアム・シラー「モンテス・フォリー・シラー」は、最大斜度45度の急斜面に植えられたシラーから造られたワイン。あまりにも危険な斜面なので、「こんな場所にブドウを植えるなんて馬鹿げてる!」と、フォリー(馬鹿げた)の名がついたそうだ。

一方、チリのセントラル・ヴァレーの気候は概ね温暖で、カベルネ・ソーヴィニヨンやシラーには好都合な反面、フレッシュな酸味が欠かせない白ブドウ品種やピノ・ノワールには暖かすぎる。そこでこれらのブドウの適地として開発されたのが、海寄りのブドウ畑だ。

チリの西に広がる太平洋には、冷たいフンボルト海流が北に向かって流れている。この寒流の影響で海に近い土地ほど涼しい。90年代初頭にカサブランカ・ヴァレーが開拓され、次にカサブランカ・ヴァレーよりも涼しいサン・アントニオ・ヴァレーやそのサブゾーンにあたるレイダ・ヴァレーが開拓された。温暖で肥沃な土地で栽培されていたソーヴィニヨン・ブランも冷涼なレイダ・ヴァレーに植えると、それまでのトロピカルな風味から、フレッシュでミネラリーなスタイルに一変する。

アンデス山麓もアンデスからの吹き下ろしの影響で、海沿いほどではないものの比較的涼しい。しかも標高の高さから夜の気温が急激に下がるため昼夜の寒暖差が大きく、これがブドウの品質に影響を与える。アンデス山麓で栽培された赤ワイン用品種はおしなべて小粒で色が濃く、凝縮感に富む一方、フレーバーが豊かでバランスのとれた酸味をもち、背筋がピンと伸びている。

また恵まれた自然環境を生かし、化学肥料や農薬に頼らないナチュラルなブドウ栽培がごく普通に行われていることも、チリならではの大きな特徴と言えるだろう。

チリワインのいまとこれから

今日、チリのワイン産地はさらに南北に広がっている。北はアタカマ砂漠の南端で、本来はピスコ用のブドウが栽培される暑く乾燥した土地だが、その沿岸部はフンボルト海流の影響で涼しい。それに加えてこの地の土壌は、チリでは珍しく石灰質の成分を含んでいる。

ミゲル・トーレスの「コルディエラ・シャルドネ・レゼルヴァ・エスペシャル」は北部沿岸のリマリで生み出されるシャルドネで、フィニッシュに感じられる塩味を思わせるミネラル感が、凡百なチリのシャルドネとは大きく違う。

反対に南はサウス地域のビオビオ・ヴァレーをさらに超え、南緯40度のパタゴニアに迫ろうとしている。この地域はアウストラルと命名され、カウティン・ヴァレーとオソルノ・ヴァレーと呼ばれるサブリージョンがあり、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、リースリング、それにピノ・ノワールなど、冷涼な気候を好むブドウ品種が栽培されている。南半球なので南に行くほど気候は冷涼だが、その一方で降水量が多い。

さらに一時はカベルネ・ソーヴィニヨンやシャルドネなどの国際品種に押され、衰退の一途を辿っていたパイスやカリニャンなどの品種を見直す動きもある。非灌漑の土地で栽培される、高樹齢のこれらの品種から、国際品種では得られないチリならではの個性が見出されたからだ。

チリをいつまでも安旨ワインの生産国とばかり思っているのは時代遅れ。急速な進化を遂げたチリの高級ワインを味わってみれば、その真の実力に必ずや驚かされることだろう。

チリワインの一覧はこちら

この記事をシェア

公式SNS・APP

最新情報やワインの読み物を 毎週お届けします

line お友達登録

お買い物に便利! アプリ限定クーポンも随時配信

公式アプリ

ストップ!20歳未満飲酒・飲酒運転。
妊娠中及び授乳中の飲酒は、胎児・乳児の発育に悪影響を与える恐れがあります。

ほどよく、楽しく、良いお酒。のんだあとはリサイクル。

エノテカ株式会社はアサヒグループです。