毎年3月末から4月初めにかけて、ボルドーは世界中のワイントレーダーで賑わう。各シャトーがプリムールをお披露目するシーズンだからだ。
ところが今年は新型コロナウイルスの感染拡大により、フランスがロックダウン。想定外のプリムール・キャンペーンとなった。
プリムールとは?
プリムールはフランス語で「新酒」を意味し、今年なら2019年ヴィンテージのワインを指す。
トレーダーたちはこの時期にまだ樽熟成中のワインを品定めして買い付ける。つまり早い話がワインの「先物買い」で、この商取引を「アン・プリムール」と呼ぶ。
プリムール価格はそのヴィンテージの評価、影響の大きな評論家が付けたポイント、市場の在庫状況、経済情勢などを吟味のうえ、シャトーとクルティエ(仲介業者)の合議によって決まる。
よほどのことがない限り、瓶詰めして市場にリリースされる時よりも低い値が付けられるので、買い手にとってはよい投資となる。
ちなみに、筆者が娘の生まれ年に購入した2000年のシャトー・ラフィット・ロスチャイルドは、翌2001年のプリムール販売で1本2万数千円程度だったが、2003年になって我が家に12本入りの木箱が到着した時、1本5万円ほどに値上がっていた。一時は20万円を超えることもあったが、現在はだいたい10万円前後だろうか。それでも20年で3倍以上の値上がりだから悪くない。
一方、シャトーにとってこのアン・プリムールはどのような意味があるのだろう。それはずばり“キャッシュフロー”だ。
ボルドーのトップシャトーは18~20ヶ月もの間、ワインを樽熟成させる。したがってブドウの収穫から計算して2年半ほど資金の回収ができない。収穫翌春にプリムールで売れば、一定のキャッシュが収穫から半年後には手に入るというわけだ。
少なくとも90年代まではたとえトップシャトーでさえ、キャッシュフローの観点からアン・プリムールはなくてはならないシステムだった。97年の収穫期、格付け2級のシャトー・コス・デストゥルネルで、当時当主のブルーノ・プラッツ氏をインタビューした際の言葉が思い出される。アン・プリムールについてプラッツ氏は、「ボルドーのシャトー経営で最もお金がかかるのは、一つに収穫人に支払う賃金、もう一つは熟成用のオーク樽です。アン・プリムールはこの二つの支払いに欠かせないんですよ」と答えてくれた。
90年代と比べてボルドーワインが大きく値上がりしている現在、トップ20のシャトーはキャッシュフローの心配などなきに等しく、実際、ラトゥールのようにアン・プリムールを止めてしまったシャトーすらある。しかしながら、多くのシャトーにとってアン・プリムールは必要不可欠なシステムなのだ。
2019年ボルドーの評価
ところで、2019年はボルドーにとってどのような年だったのか。ボルドー大学のヴィンテージレポートを要約すると以下の通り。
年の初めは温暖な天候で萌芽は早かったが、その後、4月、5月の天候は不順で気温は低く、生育は遅れた。6月初旬、涼しく雨がちな中で開花は始まり、花ぶるいや結実不良も見られた。
6月中旬から暑く乾燥した気候となったが、春のうちに土中に蓄えられた水分のおかげで生育は順調に進んだ。7月は全般的に乾燥した月となったが、局地的な雷雨もあり、降水量はセクターごとで差が出た。
8月は天候に恵まれ、暑い日と涼しい日が交互にやってきたので、ブドウの成熟の開始に有利に作用した。
9月前半は暑く乾燥し、水分ストレスが懸念されたが、9月20日から雨が降り出し、メルローを完熟させた。カベルネも健全な状態で収穫された。
辛口白ワイン用のブドウの収穫は早く、糖も酸も高く、高い芳香性を備えている。9月末に降った雨が完熟したブドウに貴腐を発生させた。
生産量は少ないが、ピュアでアロマに富んだ貴腐ワインとなるだろう。
英デカンター誌のジャーナリストであるジェーン・アンソンは、「2019年はリッチな果実味で凝縮感に富み、アルコールが高く、タンニンもたっぷり」とまとめ、左岸は「2018年ほど豊かではないが、よりストラクチャーが高い」とし、右岸は「2018年のようにリッチで豊潤だが、2018年よりも少しだけ酸の高いワインも見られる」言う。
そして、「2019年はとてつもなく高品質だが、2005、2009、2010、2015、2016のレベルまでは達していない」と結論づけた。
異例の試飲会
コロナ禍に伴う渡航制限により、日本から現地へ赴くことが不可能ななか、134の優良シャトーで構成されるユニオン・デ・グラン・クリュ・ド・ボルドーはサンプルワインを各地に送り、現地エージェントにより試飲会を開催することを決定。
日本では日本ソムリエ協会の田崎真也会長の事務所であるサンティールが仕切り、6月末、ジャーナリスト、ソムリエ、インポーターを対象に各セッション2時間の試飲会を催した。
このジャーナリスト向けセッションに参加した筆者が、87シャトー、109アイテムを試飲した感想も、ジェーン・アンソンのコメントに大きく変わるところはない。
左岸のワインは緻密でストラクチャーがしっかりしており、長期熟成のポテンシャルを大きく感じさせるものだった。ムーリスやリストラックなどやや内陸のシャトーでさえ十分な凝縮感を備えている。一方、右岸でメルロー主体のシャトーは豊満でくらくらするくらい高いアルコールが感じられた。サンテミリオンに位置するカベルネ・フラン率の高いシャトーのほうが、バランスは良いと思う。
品質的には申し分のないヴィンテージだが、アン・プリムールの初回売り出し価格(アン・プリムールの売り出しは複数回に分けられ、その価格は回を追うごとに上昇するのが通例)は全体で、前年と比較し20%下がった。1級シャトーではラフィットが16%、ムートンは31%も下げている。理由は新型コロナウイルスが世界経済に与える影響である。
こうした状況を鑑み、どのシャトーもアン・プリムールでの販売量を絞っているという。とくに潤沢な資金をもち、キャッシュフローに余裕のあるトップシャトーほどその傾向は強い。
新型コロナウイルスのワクチンや治療薬が開発されれば、世界経済はふたたび持ち直す。ならばこのような難しい時期にわざわざバーゲン価格で売らなくても、景気回復を待ち、品質に見合う価格で売り出せば良いという考えだ。
このコロナ禍の中でも経済的に余裕のある人、あるいはコロナ禍の影響を受けない職種の人は、ためらわず2019年のプリムールを手に入れておいて損はしないと思う。
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