世界で最も有名なアメリカのワインと言っても過言ではない「オーパス・ワン」。ワイン愛好家なら一度は飲んでみたいワインの一つではないでしょうか。
今や知らぬ人はいない存在ですが、その歴史はわずか40年。一体どのようにしてここまでの地位を確立してきたのか…今回はそんなオーパス・ワンの歴史を紐解きます。
二人の夢の実現
オーパス・ワンはワイン界を代表する二人の夢の実現により誕生しました。
その二人とは、ボルドーメドック格付け第1級、シャトー・ムートン・ロスチャイルドの当主だったフィリップ・ド・ロスチャイルド男爵とカリフォルニアワイン界の重鎮、ロバート・モンダヴィ氏。
フィリップ男爵は、ワイン産地として「ナパ」がまだ有名でなかった頃から、「この土地でボルドーブレンドを造ればすごいワインができるのではないか」とカリフォルニアの地に可能性を感じていたと言います。
それが1970年、二人の出会いにより徐々に現実へと近づいていきました。
フランスとアメリカ、生まれも育ちも異なる二人でしたが、ワインへの愛や芸術への関心など共通点が多く、すぐに意気投合。
そして両者とも偉大なワイン造りに成功し、さらなる探求心に燃えていたのです。それがオーパス・ワンの誕生につながります。
二つのファミリーの融合
しかし、二人が出会ってからというもののなかなかワイン造りの話は進みませんでした。
8年後、モンダヴィ氏をボルドーに招待したフィリップ男爵は最終日の朝、自身の寝室に彼を呼び出し、ようやくジョイントビジネスの話がまとまります。
彼らが掲げたのは、ナパヴァレーのブドウを使い、フランスとアメリカの醸造家が一緒になって造るボルドーブレンド。それも二つのファミリーの文化と個性をブレンドするという今までにない唯一無二のワインでした。
翌年、ファーストヴィンテージが誕生。二人のワイン界を代表する巨匠がタッグを組んでカリフォルニアの地で造り上げたワインは一大ニュースとなり、ワイン界を驚かせました。
こうして第1号ができてから最初の10年間ほどは、モンダヴィ社の醸造施設を使い、オーパス・ワン用に醸造した樽から造っていました。その後徐々に畑の面積は増え、現在では自社畑69haまでになっています。
1991年にオーパス・ワンのワイナリーが完成後も2社で対等な関係を保ちながらオーパス・ワンを育てていきました。
そして、2004年には海外輸出を開始。アメリカのワイナリーながらボルドーのネゴシアン経由での輸出となり、当時ボルドーワイン以外でネゴシアンを使用することは異例なことでした。
このようにして、それまで注目されていなかったカリフォルニアの地で偉大なワインを造り上げたことで、一気に注目の的となったのです。
永遠のチャレンジ
ボルドーでの朝の密会から40年あまりが経過しました。
二人の巨匠がこの世を去った後から現在にかけても、オーパス・ワンは独立した経営体制を貫き、彼らが掲げた「至高のワインを造ること」という目的を追求しています。
それは今まであったものをただ守っていくということではなく、さらに向上させること。オーパス・ワンはさらに革新と成長をし続けると誓っています。
その言葉を体現するかのように、2020年、オーパス・ワンは初めてワイナリーの増設・修復改善工事を行いました。これにより、タンクの数も増え、区画ごとの発酵をより細心の注意を払って行うことができ、広々としたスペースで熟成中の樽を管理することが可能となりました。
偉大な巨匠が残していったものを守りつつ、さらに進化を続けること。それがオーパス・ワンが偉大なワインであり続ける所以なのです。