カリフォルニアの中でも、頂点を極めるワイナリーが綺羅星の如く並ぶナパ・バレー。みなさまはナパ・バレーと聞くと、どんなワインを思い浮かべますか?
カリフォルニアの父ロバート・モンダヴィとシャトー・ムートン・ロスチャイルドのフィリップ男爵が手を組んだオーパス・ワンでしょうか?
泣く子も黙るカルトワイン、スクリーミング・イーグルかもしれません。
“パリスの審判”でフランスワインを下し、歴史を変えたワインと言われるスタッグス・リープを思い浮かべた方もいるでしょう。
けれども、イングルヌックを想像した方は少ないのではないでしょうか。今回はその存在が、“ナパの歴史そのもの”と言われる伝説のワイナリー、イングルヌックをご紹介します。
20世紀で最も偉大なワイン
イングルヌックは波乱万丈の歴史を持つため、先述のような安定した名声を得ているトップワイナリーと比べると現在の知名度はやや劣るかもしれません。
しかし、イングルヌックがどれほど偉大なワイナリーなのかは、ワイン・スペクテーター誌が特集した「世紀のワイン」の1本に選ばれたことから分かるでしょう。
21世紀を目前にした1999年、この特集は20世紀で最も偉大な12本のワインをリストアップしました。ライターは当時ワイン・スペクテーター誌の編集者だったジェームス・サックリング氏。
イングルヌック 1941年は、シャトー・マルゴー 1900年やロマネ・コンティ 1937年といった錚々たるワインと並び、この12本の一つに選ばれました。そればかりでなく、このヴィンテージのイングルヌックは、スコアにおいても100点を獲得しているのです。
カリフォルニアワインの歴史を変えた事件“パリスの審判”が1976年のこと。それまでのカリフォルニアワインは安ワインの産地で、そこから高品質な産地としての歴史が始まったかのように語られます。
そのため、“パリスの審判”より35年も前に、これほど高品質なカリフォルニアワインが造られていたことは驚くべき事実ではないでしょうか。これこそが、イングルヌックが伝説のワイナリーとして語られる理由です。
波乱万丈の歴史
イングルヌックの歴史は波乱万丈、ジェットコースターのように乱高下します。時代に翻弄されたワイナリーともいえるでしょう。
“パリスの審判”でカリフォルニアワインがフランスワインを打ち破った1976年から100年ほど前、19世紀末に、「ヨーロッパの偉大なシャトーに匹敵するアメリカのワイナリーを建設する」という志のもと、イングルヌックは創設されました。
創始者はグスタフ・ニーバウムという貿易会社で財をなした人物。1879年にイングルヌックの土地を購入し、シャトーを建設すると、カリフォルニアで最初の選果台や瓶詰めライン、グラヴィティフローシステムなどを導入し、高品質なワインを造るために惜しみない設備投資を行いました。
その甲斐あって、瞬く間にイングルヌックのワインは評判となります。カリフォルニアワインの地位が低かった時代にありながら、パリ万国博覧会での銀賞を獲得するなど様々なコンクールで高評価され、初めてヨーロッパで認められたカリフォルニアワインとなったのです。
それにも関わらず、イングルヌックの栄光は長くは続きません。20世紀になり創設者のニーバウム氏が亡くなると間もなく、世紀の悪法とも言われる禁酒法が施行されました。そのため1920年から1933年までの14年間の生産停止を余儀なくされます。
禁酒法が撤廃されると、ニーバウム夫人の大甥であるジョン・ダニエルJrの主導で、新しい時代の幕開けです。ジョン・ダニエルJr氏は、「PRIDE, NOT PROFIT」(利益ではなく、誇り)というスローガンを掲げ、創設者グスタフ・ニーバウム氏と同じ徹底した品質主義を貫き、かつてのイングルヌックの名声を取り戻しました。
「世紀のワイン」に選ばれた1941年のイングルヌックも、この時代に生産されました。
ところが、この繁栄も長くは続きませんでした。イングルヌックの名声にも関わらず、当時のワインの販売価格では、畑とワイナリーにおける厳格な基準を維持することは経済的に厳しい状況を生み出していました。
そのため、病に倒れたジョン・ダニエルJr氏は売却を決意。1970年にジョン・ダニエルJr氏が亡くなると、夫人によってさらに売却され、伝説のイングルヌックは3分割されてしまいました。
一つは、ユナイテッド・ヴィントナーズ社に売却されたイングルヌックの商標とワイナリーと畑。もう一つは、映画「ゴッド・ファーザー」で知られるフランシス・フォード・コッポラ監督が買い取ったイングルヌックの邸宅とその周囲の畑を含む土地。そして最後に、家族用にわずかな畑が残されました。
こうして伝説のワイナリーは幕を閉じたのです。
伝説の復活
1975年、イングルヌックの邸宅と土地を買い取ったフランシス・フォード・コッポラ氏は、その価値に気付き、散らばってしまったイングルヌックの土地と商標を買い集め、復活させることを心に誓いました。
そして2011年、40年近い活動の末に、イングルヌックの商標を買い戻すことに成功。かくして伝説のワイナリー、イングルヌックは現代に復活を遂げました。
一方、イングルヌックの伝説を築いたジョン・ダニエルJr氏が家族に残した土地も受け継がれ、現在もナパ・バレー最高クラスのワインを生み出しています。
イングルヌックの中核をなしていた畑の一つであり、売却の際に唯一手放さなかったのが「ナパヌック・ヴィンヤード」。この畑を相続したロビン・ダニエル・レイル女史は、ペトリュスで知られるボルドー右岸の巨匠ジャン・ピエール・ムエックス氏と、ジョイントベンチャー「ドミナス・エステート」をスタートしたのです。
現在、レイル女史は退いたものの、伝説の畑を受け継ぐドミナスは毎年超高得点を連発するプレミアムワインとしての地位を確固たるものにしています。
まとめ
カリフォルニアで誰よりも早く、高品質なワイン造りを志し、時代に翻弄された伝説のワイナリーの物語でした。“ナパの歴史そのもの”と比喩されるのもわかりますね。
そんなワインが現代でも飲めることは、とても幸せなことのような気がします。およそ150年前から賞賛されているナパ・バレーの伝説に触れてみてください。
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