ワインの購入にあたり、あなたなら何を基準に選ぶだろうか。ラベルのかわいさ……いわゆるジャケ買い?
あるいはショップのおすすめにしたがうがまま?
90点や95点など、評論家のつけたポイントを頼りにする人もいるかもしれない。
著名なワイン評論家が100点をつけたワインなら誰もが飲んでみたくなるだろう。しかし、そのようなワイン評論は大昔から存在するわけではない。せいぜいここ40年ほどの話なのだ。
ワイン評論のはじまり
そもそもその昔、生活水の衛生状態がすこぶる悪い西欧においてワインは生活必需品であり、今日のような嗜好品ではなかった。フランスの宮廷でラフィットがもてはやされたり、ドン ペリニヨンの泡の出るワインが話題になったりしたが、ごく一部の貴族の間で噂になったに過ぎず、一般市民が「今年のマルゴーはラトゥールよりもうまい」などと話すことはまずなかった。
ワインを嗜好品と捉えるようになったのは、かの有名なボルドーの1855年の格付けが嚆矢とされている。この格付けによってワインに付加価値がもたらされ、市井の人々、といってもブルジョワジー以上であろうが、特定の銘柄をありがたみをもって飲むようになった。
同じ頃、ブルゴーニュではジュール・ラヴァル博士がブドウ畑を5段階に格付け。これが今日のグラン・クリュやプルミエ・クリュに繋がっている。
ただ当時はネゴシアンが絶対的な権力を握っており、ドメーヌ元詰めが始まるのは世界恐慌の煽りでネゴシアンがブドウを買い支えられなくなった1930年代以降。現在のようにアルマン・ルソーのシャンベルタンやヴォギュエのミュジニーが珍重されるのは、ずっと後のことである。
いずれにせよ、ボルドーやブルゴーニュの格付けで、ワインにひとつの評価軸ができた。
ボルドーの格付け1級シャトーのワインは2級シャトーよりも美味しいに違いないし、ブルゴーニュの特級畑のワインは1級畑のものより上等に決まっている。一般の消費者はそう思ってワインを買うのだが、実際に飲んでみると必ずしもそうとは限らない。
ヴィンテージによって浮き沈みがあるし、ブルゴーニュなら同じ特級畑のワインでも造り手の力量次第で差が生じるから当然だ。かくして、ワインの良し悪しを一般消費者に伝える「ワイン評論」あるいは「ワインジャーナリズム」が生まれたのである。
ワイン評価誌の誕生
ロバート・パーカーJr.
このワイン評論において、1990年代に絶対的な地位を築いたのがアメリカ人のロバート・パーカーJr.だ。
彼は1978年に『The Baltimore-Washington Wine Advocate(ザ・ボルチモア・ワシントン・ワイン・アドヴォケイト)』(後に『The Wine Advocate』と改名)を創刊。企業から一切広告をとらず、ただひたすらワインのレヴューを掲載した1色刷りの小冊子であった。
無広告を貫いたのはもともと弁護士のパーカーが、消費者運動の指導者であるラルフ・ネーダーを崇拝していたからである。
ザ・ワイン・アドヴォケイト以前にも、フランスには1927年創刊の『La Revue du Vin de France(ラ・ルヴュー・デュ・ヴァン・ド・フランス)』、英国には1974年創刊の『Decanter(デカンター)』というワイン専門誌がある。
ラ・ルヴュー・デュ・ヴァン・ド・フランスはワイン評論家のミシェル・ベタンヌを擁しながらも、内容がフランスワインに偏っているうえ、言語がフランス語のため世界的な影響は限られていた。
デカンターはマイケル・ブロードベントやセレナ・サトクリフなど著名な執筆陣を揃え、ワインジャーナリズム大国・英国を象徴するような雑誌だが、出稿企業への配慮ゆえかワインの評価にはやや及び腰なところがあり、5段階程度の簡易的な評価で強い影響力を示せなかった。
そのような中、簡潔な論評とともにワインを100点満点で評価するパーカーの手法は誰の目にもわかりやすく、たとえ英語が読めなくてもそのワインがどれほどの質かは明白。かくして、ザ・ワイン・アドヴォケイトの定期購読者は米国にとどまらず世界各地に拡大し、その影響力は世界中のワイン産地に拡散していったのである。
米国には1976年創刊のワイン雑誌『Wine Spectator(ワイン・スペクテーター)』もあり、同じように100点満点でワインを評価した。ザ・ワイン・アドヴォケイトと違い、こちらは企業広告で成り立っているような雑誌だが、やはり影響力は大きかった。それほど100点満点による数値化はわかりやすいということだろう。
パーカー 一強時代
パーカーの影響が世界的に広がり始めた90年代初頭、英国の著名なジャーナリストであるヒュー・ジョンソン(当時の日本ではパーカーよりも圧倒的に名前が知られていた)に、パーカーの100点満点法をどう思うか尋ねたことがある。
その時の彼の答えは、「90点と100点の違いはわかるが、95点と96点の1点差が理解できない。人間はそんなに細かくワインを評価できるものだろうか?私なら、1度香りを嗅いだだけで口には入れたくないワイン、ひと啜りで十分なワイン、1杯は飲みたいワイン、1本飲んでしまいたいワイン、ケースで買いたいワイン、畑ごと買い占めたいワインの6段階で評価するね」と、英国人らしいウィットに富んだ答えが返ってきた。
2000年代になると、ザ・ワイン・アドヴォケイトはピエール・ロヴァーニやアントニオ・ガッローニなど外部テイスターを雇ってワイン評論を掲載するようになるが、それまではもっぱらパーカーがひとりで世界各地のワインを試飲し評価していた。これが良くも悪くもザ・ワイン・アドヴォケイトの特徴で、パーカー個人に絶大なカリスマ性を与えることになった。
ワインの評論をひとりの個人的評価に委ねるということは、すなわち、個人の嗜好に左右されることを意味する。とくにパーカーは、色が濃く、香りも濃密で、凝縮感に富み、リッチでボリュームの大きなワインに高得点を付ける傾向があった。
パーカーの影響力が強まり、彼が95点以上を付ければまたたくまに市場からそのワインがなくなる状況になると、生産者もパーカーの嗜好を意識せざるを得ない。
とくにボルドー右岸では、醸造コンサルタントのミシェル・ロランが手がけるワインにパーカーが高得点を付けることから、皆がロランに頼ってパーカー好みのワインを依頼するようになった。そのピークは90年代後半に右岸のガレージワインとして顕在化。パーカリゼーションと揶揄された。
ワイン評論のいま
21世紀を迎えて以降、さまざまな情勢の変化がワイン評論やワインジャーナリズムの世界に影響を及ぼしている。ひとつは急速なネットの発達だ。ひとびとは既存の媒体を購読せずとも、ネットを通じてワインの情報が比較的容易に手に入る。もちろん、その情報が正確か不正確かの問題はあるにせよだ。
またもうひとつは嗜好の多様化である。90年代は多くの消費者がパーカー好みの濃厚でボリュームの大きなワインを好んでいた。しかし、21世紀になると、ナチュラルや薄旨といった、まったくベクトルの異なるテイストを好む層が急激に増えた。こうなるとひとりの評論家の点数に頼って、ワインを選ぶ意味はないに等しい。
パーカーの影響力が衰えていったのは2000年代半ばあたりだろうか。2013年にザ・ワイン・アドヴォケイトは紙媒体を廃して完全にオンライン版のみとなり、同時期にパーカーは編集長の座をリサ・ペロッティ・ブラウンに譲った。一時代の終わりである。
最近はワイン・スペクテーターの欧州特派員で副編集長だったジェームズ・サックリングの評価を方々で目にする。彼もパーカー同様100点満点だが、あまりに点数を大盤振る舞いするので120点が満点なのではないかと首を傾げたくなるほどだ。並より少し上のワインでも容易に90点を与えてくれるので生産者の覚えは愛でたく、ビジネス的には成功しているらしい。
日本でもワインショップのサイトで、ザ・ワイン・アドヴォケイトの点数(事実上引退した今でもパーカーポイントと呼ばれることが多い)やジェームズ・サックリングの点数をよく見る。
実店舗のようにスタッフとお客様がインタラクティヴにやりとりできないネットにおいては、このような評論家の点数が強力なツールになることは間違いない。
しかし、先にも述べたように、現代は嗜好が多様化している。評論家が高得点をつけたワインを実際に味わい、誰もが同じように高い感動を得られるとは限らない。ワインの購入時、評論家の点数は参考程度にとどめ、むしろそこに書かれているコメントの行間を読み取ることがより大切なのではないだろうか。