「You cannot make a silk purse out of a sow‘s ear(豚の耳からはシルクの財布はつくれない)」とは、英語圏に昔から伝わることわざです。
確かにどんなに技術が進化しても、原料のブドウが悪ければ良いワインになりません。
良いワインは良いブドウから。中でもブドウの品質を決定づける重要な要素に「成熟度」が挙げられるでしょう。
今回はそんなブドウの成熟度について解説します。
8月までの生育サイクル
6月に開花・結実した後、ブドウはどのように変化していくのでしょうか。
7月に「色づき(ヴェレゾン)」が起き、白ブドウは緑から黄色に、黒ブドウは緑から青紫に変化し、日増しに濃くなっていきます。同時に硬かった実も徐々に柔らかくなっていくのです。
8月には十分に色づいた実があちこちに見られるようになり、栽培家たちは、収穫のタイミングを見計らうためにいよいよサンプリングなどを始めます。
筆者もバルコニーでブドウを栽培していますが、このときのブドウをつまんで食べてみると、甘いけれど、まだまだ酸っぱく、種を嚙み砕くと苦いものです。
甘いブドウが良いブドウか
徐々に果汁中の糖度が上がり、酸は減少していきます。「開花から収穫までは100日」とはよく耳にする言葉で、栽培家たちは開花した日付を記録して、そこからカウントを行っています。
ただし、実際はそこまで単純な話ではないようです。なぜなら、ブドウの成熟は糖と酸の増減だけでなく、アントシアニン、その他フェノール、風味、種と色と熟成、果皮と果肉の質感など複数の要素に関して観察していく必要があるからです。
つまり「甘いブドウが良いブドウ」ともシンプルに言い切れないのです。
理想的な成熟をもとめて
理想的な成熟を得るためには、畑での仕事はとても重要になります。
例えば、「キャノピーマネジメント」といわれる樹幹管理はブドウの成熟度に直結します。果実の露出度をどのようにコントロールするのか、これによって結果が異なります。
チリの生産者の中には、強い日差しを葉で覆い、ブドウがレーズンにならないように管理しているものもいます。
灌漑のコントロールも重要でしょう。成熟期に土に水分が少ないと、ブドウ樹はストレスを感じて、枝の伸張を止め、果実を成熟させて子孫を残そうとする働きが強くなります。逆に土に水分が多いと成熟のスピードがゆっくりとなり、品種によっては青っぽいフレーヴァーが残ることもあります。
忙しい栽培家たち
収穫が近づくにつれて、栽培家たちが最も神経を尖らせるシーズンになります。
区画から区画へと歩き、ブドウをサンプリングします。中にはこの作業だけで、1日10㎞以上歩くこともあるとか。
集めたブドウは自社の試験室で糖度や酸度をチェックします。しかし、アントシアニンなどの成分は特殊な分析装置が必要なため、たいていは外部に送って成分分析依頼をします。
また数字だけでは測れない成熟を知るために「試食」は非常に大切な作業です。種まで嚙み砕いてリコリスの風味を感じるときがベスト。
中には区画ごとに1日3回試食する造り手もおり、収穫間近のシーズンには、「朝ご飯が食べられない」そんな話を聞いたこともあります。
天気予報とにらめっこ
収穫が近づくにつれて、ワイナリーでは天気予報の話で持ち切りになります。秋が深まるほど雨が降りやすいボルドーでは、8時間おきに最新予報が更新されていきます。
ときには厳しい判断を迫られることも。完璧な成熟を経て収穫したくても、「雨が降る」と分かれば諦めて完熟前に収穫に取り掛かからなければなりません。
なぜならブドウは菌類病に侵されておらず、健康な状態でなければならないからです。特に果皮仕込む黒ブドウ品種では細心の注意が必要です。
「さぁ!収穫だ」というタイミングになれば、日曜日でも収穫をスタートさせます。フランスでは日曜日の就労が厳しく規定されているにも関わらず、収穫だけは特別なのです。
ハングタイムを稼げる新世界
一方、カリフォルニアをはじめとするヨーロッパ以外の産地ではこの点について心配ないようです。なぜならそのほとんどが温暖な地中海性気候で、秋に降雨がないために、望むだけハングタイム(※)を伸ばすことができるからです。
1980年代から2000年にかけて、ロバート・パーカーが強力な影響力を放った時代は、とにかく濃厚で熟した果実の風味を持つワインが高評価を得ました。そのため、開花から135~145日ぐらいたってから収穫する造り手もいたくらいです。
※果実が樹に実っている時間
フレッシュさを求めて
21世紀以降、“ふりこ”は逆にふれています。濃厚でパワフルなワインから、フレッシュでバランスの良いワインを消費者も造り手も求めるようになりました。
スタイルチェンジのためには、「収穫を前倒しにすれば良い」と一見思われがちですが、実は話はそれほどシンプルではありません。
下のグラフは、チリのワインメーカーのマルセロ・パパが、カベルネ・ソーヴィニヨンの風味と糖分をシンプルに視覚化したものです。
一つは熟したブラックベリーやチェリーよりも、フレッシュなカシスのフレーヴァーが得られる収穫時期が早いこと。
二つ目に、後半に収穫を倒せば、青臭い香りは避けることができますが、過熟したプルーンやドライフルーツが出てしまうことが分かります。
最後に、黄色の点線は果実の糖分蓄積を表しており、フレッシュさを求めすぎるあまり早く収穫しすぎると糖分が少なくなってしまうことが分かります。
それでは、どうするか?マルセロ・パパの場合は、何度も何度も畑に出て試食を行うのだとか。収穫の判断はワインメーカーとしての手腕がもっとも試されるタイミングと言えるでしょう。
最後に
収穫はワインの品質やスタイルを決める決定的な瞬間です。古くから人々が祭を開いて、感謝をささげ、喜びを表してきたのもそのためでしょう。
何よりも理想の成熟を経たブドウを得ることは一筋縄にはいきません。ときには運にも翻弄されることもあります。
そう思うとグラス一杯のワインの味わい方も変わってきそうです。
参考文献: ボルドーでワインを造ってわかったこと 安蔵光弘 イカロス出版社 ブドウ栽培 ワイン用ブドウ栽培の手引き ステファン・スケルトンMW ミヨコ・スティーブソン