シャンパーニュのメゾンを訪問すると、稀少な芸術品や珍しい物を所蔵していてビックリすることがあります。
今回は、シャンパーニュの有名なメゾンが秘蔵している意外なお宝を紹介いたします。
非常にマニアックなものばかりなので、この知識を披露すると、シャンパーニュ愛好家から「へぇ、そうなんだ」と感心してもらえるかもですね。
テタンジェ イアン・フレミングからの手紙
人類がこれまで作った映画の中で、シャンパーニュが最も重要な役割を演じたのはどの作品か?と聞かれたら、私は迷わず、『ロシアより愛を込めて』と答えます。
地球を代表するプレイボーイが「女王陛下の諜報部員」ジェームス・ボンドです。007の映画には、毎回、シャンパーニュがカッコよく出てくるのですが、シャンパーニュが映画史上、最も重要な役割を演じたのが007の2作目、『ロシアより愛を込めて(1963年)』でしょう。
最近の007映画では、幕開けの10分で、ストーリーの本筋に無関係なトラブルに巻き込まれ、ハイテク兵器が登場して危機を脱するのがお約束ですが、『ロシアより愛を込めて』は、監督の才能、脚本の面白さ、役者の演技力で勝負した「これぞ映画」です。私はシリーズ最高傑作だと思います。
ストーリーは、例によって、ロシアと英国のスパイ合戦です。ロシアの暗号解読器を入手したボンドは、イスタンブールからオリエント急行に乗り、ロンドンへ向かいます。途中のユーゴスラビアのザグレヴ駅で、英国人将校に化けたロシアの殺し屋が乗り込んでくるのですが、変装に気付かないボンドは、食堂車で殺し屋とディナーを取ります。
ボンドは英国人の定番メニュー、舌平目をオーダーしテタンジェのコント・ド・シャンパーニュを合わせ、ロシア人は同じ舌平目にイタリアの廉価版の赤、キアンティを注文するのです。
コント・ド・シャンパーニュは、名門テタンジェ社の最高級版。
通常のシャンパーニュは白黒ブドウを混ぜますが、これは繊細な白ブドウしか使いません。白だけのシャンパーニュをワイン用語でブラン・ド・ブラン(白の白)と呼び、映画でもボンドがそう呼んでいます。
泡は絹より滑らかで、口の中でプチプチ細かく弾けます。リンゴ、白桃、バニラの香りに、磨り潰したカシューナッツの香ばしさが混じり、「知性ある官能」といわれたグレース・ケリーが舌の上に登場します。
一方、殺し屋が注文したキアンティは、イタリアのワイン法上は最高格付けのD.O.C.G.ですが、価格は千円前後の日常消費用ワインです。背伸びをした殺し屋が、最高級ワインと思ってキアンティを注文した場面は、物のない1960年代の貧しいロシアを象徴しています。
残酷なまでの生活レベルの差。ロシア嫌いで有名だった原作者、イアン・フレミングの筆が躍っていますね。
客室に戻ったボンドに、ロシアの殺し屋がピストルを突きつけるのです。その瞬間、ボンドはハッとして言います。「そうか、舌平目に赤ワインか……」。
英国人ならそんな泥臭い組み合わせはしないので見破るべきだったと悔やむのですが、ロシア人は涼しい顔。「ワインに詳しくてもお前の負けさ」。これが「シャンパーニュが重要な役を演じた場面」としてワイン愛好家が認定するシーンです。
コント・ド・シャンパーニュの「好演」により、同シャンパーニュが一躍有名になったお礼に、テタンジェ社は原作者のイアン・フレミングにコント・ド・シャンパーニュ1953年を1ケース贈りました。
直後に、イアン・フレミングから届いた礼状がテタンジェ社の迎賓室に飾ってありました(写真参照)。文面は以下の通りです。
この手紙は、世界のシャンパーニュ愛好家、007ファン、映画愛好家の全てに垂涎の逸品でしょう。
日本語訳
テタンジェ様
4月4日、素晴らしいお手紙をいただき、ありがとうございました。
英語で礼状を書くことをお許しください。
ジェームス・ボンドにブラン・ド・ブラン1953年をお送りいただき、感謝いたします。
本当に素晴らしいシャンパーニュだと思います。
残念ながら、今、ジェームス・ボンドは日本におり、日本酒しか飲めない可哀そうな状況です。
ボンドにもブラン・ド・ブランを残しておきたいのですが、イギリスに帰国する頃には、全てのボトルは空になっているはずです。
空瓶は非常に美しいので、ボンドは、空瓶を使ってランプを作ることでしょう。
将来、ランスの近くを旅行することがありましたら、是非、御社を訪問し、有名な地下セラーを拝見いたしたく、よろしくお願いいたします。
最後に、改めましてお礼を申し上げるとともに、世界に誇る素晴らしいシャンパーニュに対し、賛辞を惜しみません。
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ペリエ・ジュエ エミール・ガレの家具
個人の所有者として、世界で最も多くのアール・ヌーヴォーの作品を所蔵しているのがペリエ・ジュエ社です。
2009年3月、「当社の地下セラーに眠る世界最古のシャンパーニュ(1825年)を試飲しませんか?」と同社からご招待をいただいた折、シャンパーニュ大通りを挟んで醸造所の向かいに建つ迎賓館を訪れました。
中の調度品は、同メゾンのトップ・キュヴェ、ベル・エポックのボトルをデザインしたエミール・ガレにちなみ、全てガレの作品ばかり。唯一、トイレに日本が誇るTOTOのオシャレなトイレット・ボウルが設置してあったのが印象的でした。
ランプなどの小物は、ガレ工房の作品が多く、職人が作ってガレがサインを入れる物も少なくありませんが、椅子、カウチ、ベッドなどの家具はガレ自身が作りました。
案内をしてくれたペリエ・ジュエ社の方が、「どの作品もご自由に触って、座っていただいて構いません」とのことなので、椅子やカウチやドアに座った挙句、ベタベタ触りました。ガレが触った家具を私が120年後に触っていると思うと、ドキドキしました。
ペリエ・ジュエ社を訪問した数年後、上野の東京都美術館(通称、都美:とび)でアール・ヌーヴォー展がありました。目玉として、ガレの椅子が出展してあり、「おぉ、エペルネの迎賓館で見た椅子とよく似ている」と思い、つい、座ろうとした瞬間、美術館の係員が飛んできて、「触らないでください」と物凄い剣幕で叱られました。
ペリエ・ジュエの迎賓館のエミール・ガレの作品の評価総額は数十億円でしょう。そんな貴重な芸術品を触らせてくれた同メゾンに感謝、感謝です。
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サロン 水墨画風の掛け軸
「おもてなし」は、日本だけの文化ではありません。シャンパーニュにも、桁外れの「おもてなし」がありました。
10年前、大阪の熱烈なシャンパーニュ愛好家たちと5泊6日のシャンパーニュツアーに行くことになりました。「絶対に、大好きなサロンへ行きたい」とのことで、サロンの当主、ディディエ・デュポンさんに訪問の許可を手紙でお願いしたところ、「大歓迎する」とのこと。
当日、メニル・シュル・オジェ村のサロンへ着くと、写真で見慣れた巨大なSの字が扉にあり、一同、大感激。
さらに、玄関の上に掲げた大きな3本の旗を見て、涙が出ました。中央は青地に12個の星を円状に配した欧州旗、右にフランスの三色旗、そして左には日の丸が掲げてあったのです。
それを見た瞬間、背中は鳥肌だらけ。ただの大阪のオッチャン、オバチャン御一行様なのに、気分は、「国賓として訪仏した安倍晋三首相(当時)」です。「これがもてなしだねぇ。一生、サロンのファンになるね」と全員、納得しました。
ドアを一歩入ると、JALが国際線で運行するボーイング787の白い模型があり、主翼に日本人関係者の署名が入っています。JALのファーストクラスでサロンを出していたためです。
邸内のあちこちに、「サロン ドラモット社試飲会様」の墨書や、試飲会場の「あさば」での手書きの献立、ガラス工芸家にして熱烈なシャンパーニュ愛好家の麹谷宏さんが手吹きで作ったシャンパーニュ・クーラーなど、日本ゆかりの品々が満載。
一同、「これぞ、渾身のおもてなしだぁ」と大感激しました。
いろいろな国のサロン愛好家がメゾンを訪れるはずで、そのたびに、訪問団の国にちなんだ作品で模様替えをするのは大変だろうなと大感動です。
極めつけはサロンのボトルをモチーフにした掛軸でした。これを見た10様の御一行は、「おぉ、サロンの掛軸とは珍しい」と大喜び。
私は感激しつつ、微妙な違和感を感じました。
試飲ルームでサロンだけでなくドラモットもたっぷりいただき、帰りにもう一度、掛軸を見た時、違和感の正体が分かりました。右上の「沙龍 香槟」は、中国語表記の「サロン シャンパーニュ」で、この掛軸は中国の画家の手になるものだったのです。
『ワインでクイズ王』を執筆していた時、中国語表記のシャンパーニュの名前をテーマにした問題を作っていたことで気がつきました(ちなみに、モエ・エ・シャンドンが「莫埃和尚東」、ドン・ペリニヨンが「佩里尼翁修士」で、和尚と尼が対で入っているのが興味深い)。
違和感が解決してスッキリしたと同時に、これを日本製と信じて一生懸命飾りつけてくれたサロンの関係者の「健気なおもてなし」を感じ、感謝の念が一層大きくなりました。この掛軸は、サロンが誇るお宝です。
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