刻一刻と変化している世界のワイン地図。このことは、ジャンシス・ロビンソンの「The World Atlas of Wine」を開けば一目瞭然だろう。新しい産地がページを賑わせている。
中でも、快進撃を続けているのが日本なのだ。
1990年代からこの30年の日本ワインの進化を振り返ってみよう。
目次
ワイナリーと畑の分断
良いワインは、良いブドウから。良いブドウを手に入れるためには、99%が畑で決まる。
その点、ヨーロッパは「ドメーヌ」型が当たり前で、造り手が畑の時点から介入できるという点では、質の高いブドウを手に入れるための環境が整っていると言えるだろう。
それでは、日本はどうか?ひと昔前は、「ドメーヌ」型は一般的でなく、農家からブドウを買いつけて、ワインを仕込んでいたのだ。
甲州はヴィティス・ヴィニフェラ種(※)でありながら、食べることができる品種である。高品質の甲州は食用として果物屋に、糖度が低く、傷んだブドウがワインやゼリーなどの加工食品用に流通していたのだ。
(※)ヴィティス・ヴィニフェラ種…ヨーロッパ品種のワイン用ブドウの学名のこと
1990年代:“宿命的風土論”を打ち破れ
今では信じる人もいないかもしれないが、1990年代頃までは、「日本はワイン用ブドウ栽培に向かない」「ヨーロッパ系のブドウ品種は無理」と思われていたのだ。ときには「運命だからしょうがない」と“宿命的風土論”という言葉で片づけられることもあった。
そんなネガティブな空気が垂れ込める中、世間をあっと言わせたのが「ウスケボーイズ」だ。浅井昭吾さん(ペンネーム「麻井宇介」)に薫陶を受け、切磋琢磨しながら日本ワインを造り始めた若者たちのことである。
岡本英史さん(当時フジッコ、現在ボー・ペイサージュ)、城戸亜紀人さん(当時五一わいん、現在Kidoワイナリー)、曽我彰彦さん(小布施ワイナリー)は、浅井さんから、アドバイスを受け励まされながら、畑からワイン造りを起こすことに躍起になっていた。
3人に加えて、水上(安蔵)正子さん(丸藤葡萄酒)、安蔵光弘さん(メルシャン)たちが集まれば、苗の自製方法から、品種の選定、はたまた日本ワインの未来まで夜遅くまで議論しあったとか。まさに、それは“宿命的風土論”をも打ち破る熱気だったのだ。
現在、日本ではドメーヌ型のワイナリーの増加が顕著だが、その礎を「ウスケボーイズ」が築いたことは間違いない。
1990年代後半:日本庭園を目指して
シャトー・マルゴーの総責任者ポール・ポンタリエ氏が来日したのは1998年のことだった。「メルシャン 桔梗が原メルロー」を試飲し、「ヴェジェタル(végétal)」と何度かコメントしたのだ。
これまで日本のメルロの特徴と言われていた「ほおづき香」、その原因物質がIBMP(2-イソブチル-3-メトキシピラジン)ということが明らかになったのは、そのすぐ後のことだった。IBMPはブドウが熟すとともに減り、生育中の房に太陽光が十分当たらないとこの香りが残ることも判明した。これは栽培法に一石を投じるきっかけとなったのだ。
「新樽の香りが強すぎる」というコメントも醸造・貯蔵を見直すヒントになった。当時は、ボルドーの赤ワインのように新樽の香りがあると良いワインと考えられていたのだ。
「日本庭園のようなワイン造りを目指す」。このポンタリエ氏のアドバイスは、今でも造り手たちに引き継がれている。
これは、日本でヴェルサイユ宮殿のような庭を真似しても同じにならない、日本は京都の枯山水のような素晴らしい庭園があり、すなわちワイン造りにおいても、調和に重きを置きつつ、自分たちのスタイルを目指せば良いということである。
2000年代:「甲州・新時代」幕開け
甲州と言えば、「シュール・リー」製法で仕込まれた辛口スタイルを思い浮かべる人が多いかもしれない。
以前は、果皮が藤紫色をした甲州からは、苦味が抽出されるため、バランスを取るために甘口にされていたが、1983年に、大塚謙一さん(当時メルシャン常務、元国税庁醸造試験所長)が、フランス、ロワール地方のミュスカデに倣って、辛口のシュール・リーを始めたのだ。
その初ブランドが「メルシャン東雲甲州シュール・リー」。このスタイルは瞬く間に広がり、甲州の代名詞的な製法になった。
そのような中、甲州の新スタイルを模索していたのが安蔵光弘さんだった。一つは果皮ごと仕込んだスタイル。これは最近では定番のワインになりつつある、オレンジワインと言っても良いだろう。
2002年に仕込み始めたこのワイン、当初は、国内のワインコンクールでは評価されず予選落ちの連続。しかし2019年、ロンドンのインターナショナルワインチャレンジでついに銀賞を受賞したのだ。
そしてもう一つはソーヴィニヨンのような華やかなスタイル。2003年、甲州の果汁の中から、ソーヴィニヨンと同じく3MHという柑橘の香り成分が発見されたのだ。この香りを最大限に引き出して造ったのが「シャトー・メルシャン甲州きいろ香」だ。
2010年代~:ワイン特区、GI、ワイン法が後押し
2010年以降は、小規模ワイナリーが爆発的に増えたフェーズと言ってもいいだろう。その背景には「ワイン特区」制度があったことは間違いない。
それまで、酒造免許取得には年間生産量最低6kLが必要だったが、この制度により生産量2kLでも許可されるようになった。これにより、一気に酒造免許取得のハードルが下がったのだ。
2013年には、国税庁がワイン産地として初めて「山梨」の地理的表示(GI)を認定。これに続く形で、「北海道」「山形」「長野」「大阪」などGIが誕生している。
2015年には、いよいよ「日本ワイン」が誕生。これまで、海外から輸入された濃縮用果汁を使っても「国産ワイン」と表記できたが、「日本ワイン」と表記するためには、国産ブドウ100%で仕込んでなければならず、「国産ワイン」と明らかな線引きがされたのだ。造り手の志気を高めるような法整備が整った。
2022年現在、ワイナリー数は440軒。そのうち200軒以上が2014年以降設立だというから驚きだ。
Made in JAPANの誇り
新規開拓、プティ・ヴェルドやアルバリーニョなどの新品種の植樹、オーガニックへの取り組み、海外生産者の日本への進出と話題は尽きない。
「Made in JAPAN」と刻印された電化製品や革小物製品が職人の自信や誇りであるように、今、日本は世界中の消費者を唸らせるワイン産地として開花したのだ。
参考文献:Sommelier no164, 165, 184 エノログの視点 安蔵光弘 Winart 95号