【第三話】葡萄酒は「永遠」?

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公開日 : 2023.12.12
更新日 : 2023.12.12
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ワインを愛好する編集者・ジャーナリストの鈴木正文さんが、「一ぱいの葡萄酒」をテーマに寄せるエッセイ。第3回目は、フランスの詩人アルチュール・ランボーの詩から葡萄酒の永遠性を取り上げます。

※連載タイトルに込めた鈴木正文さんの想いはコラム下部にて掲載しております。

著:鈴木 正文


編集者・ジャーナリスト。1949年東京生まれ。慶応大学文学部中退。CM製作会社進行助手、海運造船業界紙記者などを経て二玄社に入社後、雑誌編集に携わり、『NAVI』(二玄社)、『ENGINE』(新潮社)、『GQ JAPAN』(コンデナスト・ジャパン)各誌の編集長を務めたのち2022年に独立した。著書に『◯✕まるくす』(二玄社)、『走れ、ヨコグルマ』(小学館文庫)、『スズキさんの生活と意見』(新潮社)など。坂本龍一の2冊の自伝である『音楽は自由にする』(新潮社)および『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(同)では、聞き手を務めた。

1871年、ベルギーとの国境近くの故郷・シャルルヴィルを出てパリに出奔した弱冠17歳のアルチュール・ランボーは、かよっていたシャルルヴィル高等中学校の恩師ともいうべき22歳で年上の友人でもある修辞学の教師のジョルジュ・イザンバールに宛てた5月13日付けの手紙で、「ジュ・パンス(Je pense=わたしはかんがえる)というのはまちがっている」と書いた。この「ジュ・パンス」とは、デカルトが『方法序説』(1637)で、哲学の第一原理とした「わたしはかんがえる。それゆえわたしは存在する」または「我思うゆえに我あり」(Je pense, donc je suis=ジュ・パンス・ドンク・ジュ・スウィ)」といったときの「ジュ・パンス」である。


ちょっと寄り道をすると、フランスの1871年は、前年からの普仏戦争でのフランスの敗北が決定的になっていた3月18日に、パリに革命政権が成立した年である。この、世界史上はじめての労働者階級による革命政権は「パリ・コミューン」と呼ばれたが、政府軍(ヴェルサイユ軍)の弾圧によって5月28日に倒れ、72日という短命に終わっている。革命思想の持ち主であったといわれるイザンバールの心境を察してか、手紙のなかでランボーは、「いまこの瞬間にも、パリでは多くの労働者が死んでいます」という情報を伝えている。コミューン最後の一週間は、「血の一週間」と呼ばれたほど、多くの血を流した。そんな切迫した情況下で、みずからもパリで、政府軍とのたたかいに参じねばならぬという思いがあることを手紙で述べつつも、ランボーは、いまは自制して、詩人として、「見者」(voyant=ヴォワイヤン)でありたい、と述べている。パリ・コミューンへのシンパシーをいだきつつも、詩人であるために、バリケードのなかに入るよりも「見る」ことをえらぶ、といった。


そうまでおもいつめてそうあろうとした「見者=ヴォワイヤン」とはなにかといえば、英語でいうなら「seer」とか「medium」とか「psychic」という訳語が与えられるもので、「シーヤー」はそのまま「見る人」という意味だけれど、「ミディアム」や「サイキック」の意味のほうに傾ければ、それは、「霊感において見る霊媒」というニュアンスをともなう。ランボーが「見者」たらんとしたということは、「わたし」というエゴをこえて、この世界の向こう側から降りてくる霊感を伝える詩人でありたい、という欲望を吐露したものであっただろう。「ジュ・パンスではない」ということとの関連でいうなら、詩は自己表現ではない、自己をこえたなにかの表現である、とかんがえていたのかもしれない。

Illustrated by 坪本幸樹
Illustrated by 坪本幸樹

ともあれ、「ジュ・パンス」(わたしはかんがえる)がまちがっているといったランボーは、おなじ手紙のなかで、かんがえている主体は、「ジュ」(わたし)ではなく、不定代名詞の「オン」(on=かれら、われら、だれか=英語ではthey, we, someone)である、と述べている。原文では「オン・ム・パンス(On me pense)」だ。フランス語に特有の入り組んだこのいいまわしは、あえて逐語訳すれば、「だれかがわたしにおいてかんがえている」という意味だ。かんがえているのは「わたし」ではなく「わたしを通してかんがえるだれか」または「なにか」である、といいたいのだ。そこでは、すべての出発点であるべき「わたし」というデカルト的エゴは消失している。


では、その「だれか」とはだれか? ランボーは、おなじ手紙のなかで、補足するように、「わたしとは一個の他者だ」と述べるだけだ。「わたし」はわたしではない、と。


いっぽう、ランボーが「詩人のなかの詩人」と賞賛したのがボードレールであった。この連載の第1回で、「葡萄酒の魂」というかれの詩を阿部良雄訳(ちくま文庫『ボードレール全詩集Ⅰ』)で紹介した(この詩の全文については連載第1回の「ムートンとボードレール」の記事を参照していただきたい)。ボードレールは、この詩において、葡萄酒を擬人化している。いや、擬人化というよりも、ほぼ「擬神化」している。というのも、詩の最終節で、葡萄酒は、「植物性の神饌(みけ)」で、「永遠の<種撒く神>の投げたもうた貴重な種子(たね)」である、とうたっているからだ。


「神饌」とは神に捧げられる食事のことだ。この詩の横張誠による別訳(『ボードレール語録』岩波現代文庫)では、それは「植物からとれた甘露の私」とされており、新潮文庫の堀口大學訳では「不老の神膏(しんこう)」とされている。堀口訳の「神膏」は漢語で、その意味は僕の手持ちの国語辞典には出てこないのだけれど、英訳は「spirit jelly」とされる。すなわち、「凝結した精霊」とでもいおうか。ということは、それは、〈神的な露〉であり、「神の雫」だといってもいい。


そして、「永遠の種撒く神の投げたもうた貴重な種子」は、横張訳では「私は大切な種、永遠の〈播(ばん)種者〉が播(ま)いたもの」、堀口訳では「永遠の種蒔(ま)く人の手が、蒔いた貴重な種」とされている。すべて、神の手がまいたタネである。


「葡萄酒の魂」とは、してみると、葡萄酒に宿った「神」の魂、と、いうことでもあるか。


ランボーの、「ジュ・パンス」(わたしはかんがえる)」はまちがっているというテーゼに戻るなら、かんがえているのは「わたし」ではない「だれか」だとかれがいったとき、その「だれか」が「わたし」に詩を書かせているのだ、とかれはいおうとした。すくなくとも、僕は、そうかんがえた。そして、その「だれか」を、あるいは「なにか」を、あきらかにするために、かれは詩を書いた、とおもう。


おもえば、僕たちは、じぶんひとりでかんがえているのではないし、じぶんひとりで生きているのでもない。「わたし」は「わたし」であって「わたし」でない。そういう「わたし」がなにかを書き、なにかをつくり、なにかを表現している。それは自己表現といえるようなものであるはずがない。


さて、いま、ワインの世界では、ビオディナミの栽培法もふくめて、ワインの「ナチュール」化をすすめる動きが拡大している。それは、農薬や機械化耕作を万能視したいっときの栽培法が、葡萄酒づくりに破壊的な影響を及ぼしたことの反省によるものである、と僕はかんがえる。そして、それはよいことだ。くわえていえば、そのことは、葡萄酒づくりを人間の作為的なワザにではなく、可能なかぎり自然過程にまかせようという意志のあらわれとみることもできる。ことばをかえれば、葡萄酒を生産者の「自己表現」に縮めてはならない、という意志のあらわれではないだろうか。


小林秀雄訳によるランボーの『地獄の季節』(岩波文庫)中の「永遠」という詩の書き出しは、「また見つかった、/何が、永遠が、/海と溶け合う太陽が。」というものだった。ここでの「永遠」は、ランボーのエゴ(「わたし」)が見つけたのではない。「永遠」がランボーを見つけて、かれにそう語らせたのである。


ボードレールの「葡萄酒の魂」における「葡萄酒」は、「見棄てられた友、人間よ、きみに向けて私は発する」と、僕たちに語りかけた。その葡萄酒もまた、ランボーのいう「わたしではないだれか」または「わたしではないなにか」が「わたし」(ボードレール)に語らせたことば(=詩)であるはずだ。


その詩が「神」のことばであるかどうかを知るのは「神」だけであるにしても、「一ぱいの葡萄酒」にも、僕たちは永遠を見つけることができる、と僕はおもう。人間とテロワールを通してつくられているワインが、そのじつ、人間とテロワールを通して、「だれか」だか「なにか」だかがつくらせた「永遠」の表現でないと、だれがいえるだろうか。「海と溶け合う太陽」のように。

連載タイトルについて

永井荷風がほぼ1年のフランス遊学を終えて、日本に帰る船にロンドンから乗ったのは1908(明治41)年6月のことであった。『ふらんす物語』として翌年に公刊されるはずが風俗を乱すとして発禁処分となり、後年(1915年)、日の目を見たこの本のなかに、「1908年6月船中にて」とのただし書きのある「巴里のわかれ」というタイトルの小文がある。


それは、日本に帰るべく、パリから列車に乗り、ディエップ港で船に乗り換えて英仏海峡を渡ってロンドンに投宿した荷風が、ヨーロッパで過ごす最後の晩の食事をとりに外出し、辻馬車の御者にたずねて、「フランス人の居留地」があるというオックスフォード・ストリートの、とある「汚い安料理屋」に入ったときの回想をつづったものである。そこは「懐しい三色の国旗がユニオンジャックの旗と差し違いに出してある料理屋」であった。荷風は書く。


「……入口に近く、よごれた白布(ナップ)を敷いたテーブルには三人の職人風の男、中央(まんなか)には商人らしい男が四五人、稍(すこし)離れた片隅には醜からぬ女が一人坐っていた。その服装、容貌、帽子の形、見すぼらしいけれども一目見て特徴の著しい『巴里女』(パリジエーヌ)である。自分はさながら砂漠の中に一帯の青林(せいりん)を見出したような気がした」と。


そうして、その「パリジエーヌ」が、「汚れた壁に添うた汚れたテーブルの上に片肘をつき、物思わし気に時々は吐息をもつくようで、手にした肉叉(にくさし)に料理をさしながら食べようともせず、蝿の糞で汚れた天井を現(うつつ)に仰いでいる様子は、どうしても異(ちが)った国から移植(うつしう)えた草花の色もあせやつれた風情である」として、荷風は、その「もの淋しく物哀れ」な様子に「漂白(さすらい)の悲しみを覚え」、こう述べる。


「あの女はどうしてあの美しいフランスを去ったのであろう。若しこれが巴里の街であるならば、同じ場末の安料理屋にしても、アブニューを蔽うマロニエの若葉の蔭、道端のテラスで、紫色に暮れて行く街の人通を眺め、何処からともなく聞えて来るヴィヨロンの調(しらべ)を聞きながら、陶然一ぱいの葡萄酒に酔おうものを……と今は他人(ひと)の身の上ならぬ過ぎし我が巴里の生活を思いはじめる」と。


このとき、荷風の想念をよぎった「一ぱいの葡萄酒」への万感のおもいは、また、歓びはいうまでもなきこととして、「漂白の悲しみ」をも縁なしとしない僕(たち)のおもいでもある。葡萄酒は飲まれるべきものばかりではない。それは(ぜひとも)語られるべきものでもある。そして、葡萄酒をめぐる語りは、願わくば、「一ぱいの葡萄酒」の美味を増すものであってほしい。そんなおもいをこめて、この連載のタイトルを「一ぱいの葡萄酒」とすることにした。(鈴木正文)

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