作家・料理家。服部栄養専門学校卒業後、料理教室勤務や出張料理人などを経て、2005年『さよならアメリカ』で群像新人文学賞を受賞し、作家デビュー。作家として作品を発表する一方、料理家としても活動し、メニュー開発なども手がける。 主な著書 『スープの国のお姫様』(小学館) 『おいしいものには理由がある』(角川書店) 『最高のおにぎりの作り方』(KADOKAWA) 『ぼくのおいしいは3でつくる』(辰巳出版)
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この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
修造はテーブルを拭き終えると奥の洗い場に戻った。トーションでグラスを拭く。貸し切りの営業が終わったばかり、とは言っても小さな店だから普段、働いているイタリアンレストランと比べると、グラスの数は知れている。
彼は時々、この店を手伝っている。星付き店のソムリエだった叔父が国分寺の商店街の片隅でワインバーをはじめると聞いた時は驚いたものだ。手伝うと言っても、バーカウンターに立つわけではない。洗い物や店の掃除が主な仕事で、かんたんなおつまみを作ることもある。今日はキノコをソテーして、ビネガーでマリネしたが、評判は上々だった。
扉が開いてドアベルが鳴った。
「大丈夫かな?」
「いらっしゃいませ。もちろんです。こちらにどうぞ。宮下様、お久しぶりです」
「変わらないね。軽めの白ワインをグラスでもらえるかな」
グラスを磨きながらスイング扉越しにカウンターをちらりと覗く。丁寧に整えられた白髪に仕立てのいい服、機械式の腕時計をした老紳士で年は六十代……いや、背筋が伸びているのでそう感じるだけで、七十代といったところだろうか。
「お待たせしました」
会話の様子から二人は古い知り合いだとわかる。レストラン時代のお客かもしれない。数秒、静かな時間が流れた。
「あっ」と老紳士が呟いた。
「どうされました?」
「いや、この白ワインの味にちょっと覚えがあってね……ボトルをよく見せてくれないか」
「どうぞ」と店主が言った。「少しだけスパイスのようなニュアンスがあるカリフォルニアの白ワインです。ところで奥様はお元気ですか?」
「昨年、亡くなってね。寂しいものだよ」
「それは……残念です。いつもお二人でいらしてくださったのに」
「おや、これは」と老紳士がつとめて明るい声をあげた。
「いつもは乾き物なのですが、今日はちょっとしたおつまみを用意しています」
修造はスイング扉の向こう側で交わされている会話に耳を傾けた。盗み聞きしているつもりはないが、料理の反応がつい気になってしまう。
「違うな」
違う?
「お気に召しませんでしたか」
「失礼。おいしくないとかではなくて……ちょっと変な話なんだけど、去年、妻を亡くしてから調子を崩してしまってね。年末、学会があったのでようやく重い腰を上げて、スペインに行ってきたんだ。帰りに郊外の一軒のレストランに入って、食事の後、オーナーと少し話をした」
老紳士はゆったりとした口調で話しはじめた。
「身内を亡くされましたね。彼はそう言った。わかるんです。私も同じですから、と。どうやら彼も奥さんを亡くしたらしい。店の地下に案内されて、キノコのソテーとワインをご馳走になった。時間は決して悲しみを癒やしてはくれない。でも、このキノコと白ワインが触媒になって、会えない人に会わせてくれます、と彼は言った」
そこで大きく息を吐き、話を続ける。
「その日の夜、夢を見た。妻と一緒にいる夢だ。驚いた私は翌日、店に電話をかけたが、誰も電話に出なかった。それで直接、店に行ったら、もぬけの殻だったんだよ。あの日からあのキノコと白ワインはなんだったのか、ずっと考えている。あれは救いだったのか、毒だったのか」
この白ワインはあの日、飲んだものに少し似ている、と老紳士は呟く。目の前には一本のボトルが置かれている。コナンドラム=解決策が見つからない難問という意味の名前の白ワイン。
キノコのソテー
【材料】 (2人分)
・しいたけ 4個
・しめじ 100g
・白まいたけ 1パック
・赤唐辛子 1本
・オリーブオイル 大さじ2
・塩 小さじ1/4
・米酢 大さじ1
・みりん 小さじ1
【作り方】
1. しいたけは軸を切り落とし、7〜8mmにスライスする。しめじとまいたけは手でほぐす。赤唐辛子は半分に折り、種を取り除く。
2. フライパンにオリーブオイルをひき、1のキノコと赤唐辛子を並べて中火にかける。
音がしてきたら弱火に落とし、塩を振り、焦げ目をつけるように裏返しながらじっくりと焼く。
3. 焦げ目がついたら火を止めてキノコを取り出し、まだ熱いフライパンにみりん、米酢を入れひと煮立ちさせ、キノコにあわせる。粗熱がとれた頃が食べごろ、冷蔵庫で冷やしても美味。
文・写真=樋口 直哉