【第十二話】「サヨナラ」ダケガ人生ダ

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公開日 : 2024.9.13
更新日 : 2024.9.13
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鈴木正文の”一ぱいの葡萄酒”

ワインを愛好する編集者・ジャーナリストの鈴木正文さんが、「一ぱいの葡萄酒」をテーマに寄せるエッセイ。最終回となる第12回目は、谷川俊太郎や吉野弘、石垣りんといった詩人たちの作品を取り上げます。

※連載タイトルに込めた鈴木正文さんの想いはコラム下部にて掲載しております。

著:鈴木 正文


編集者・ジャーナリスト。1949年東京生まれ。慶応大学文学部中退。CM製作会社進行助手、海運造船業界紙記者などを経て二玄社に入社後、雑誌編集に携わり、『NAVI』(二玄社)、『ENGINE』(新潮社)、『GQ JAPAN』(コンデナスト・ジャパン)各誌の編集長を務めたのち2022年に独立した。著書に『◯✕まるくす』(二玄社)、『走れ、ヨコグルマ』(小学館文庫)、『スズキさんの生活と意見』(新潮社)など。坂本龍一の2冊の自伝である『音楽は自由にする』(新潮社)および『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(同)では、聞き手を務めた。

「ムートンとボードレール」というタイトルの第一話からはじまった「一ぱいの葡萄酒」の連載も、今回の第十二話をもって終了である。第一話でボードレールの『悪の華』に収められた「葡萄酒の魂」という詩を紹介したときは、この連載をワインや酒一般にかかわる文学作品をモチーフにして一貫させようとまではかんがえていなかった。けれど、結局、毎回、酒を飲むことにかかわる先人の書き物に刺激されて書いてきた。せっかくここまでそうしてきたから、最終回の掉尾(ちょうび)を飾るとまではゆかずとも、今回もいくつかの詩に触れつつこの連載を締めくくることとしたい。


谷川俊太郎が弱冠21歳にして上梓した第1詩集として名高い『二十億光年の孤独』には、ブック・タイトルとおなじ標題の詩がある。以下に引用する。

二十億光年の孤独   谷川俊太郎


人類は小さな球の上で

眠り起きそして働き

ときどき火星に仲間を欲しがったりする

 

火星人は小さな球の上で

何をしてるか 僕は知らない

(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)

しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする

それはまったくたしかなことだ

 

万有引力とは

ひき合う孤独の力である

 

宇宙はひずんでいる

それ故みんなはもとめ合う

 

宇宙はどんどん膨らんでゆく

それ故みんなは不安である

 

二十億光年の孤独に

僕は思わずくしゃみをした

この第1詩集が出版されたのは1952年である。「20億光年」というのは、当時の科学的知識の教える宇宙の直径だ。この詩を書いたとき、谷川は19歳だった。天才は早熟である。


「万有引力とは ひき合う孤独の力である」の2行は鮮烈だ。物体同士におけるニュートン力学の法則を精神の運動におけるそれとして読み換えた。ひき合うのは、モノ同士であれ、こころとこころ、精神と精神、あるいは地球人と火星人であれ、それらがそれぞれに孤独であるからだ、と19歳の少年が詩的言語に託していった。

Illustrated by 坪本幸樹

おなじ詩集には、やはり谷川が十代のときの次の作も入っている。

かなしみ   谷川俊太郎


あの青い空の波の音が聞こえるあたりに

何かとんでもないおとし物を

僕はしてきてしまつたらしい


透明な過去の駅で

遺失物係の前に立つたら

僕は余計に悲しくなつてしまつた

この短い詩について、詩人の茨木のり子(1926-2006)が卓抜な解釈を与えている。主に小中学生を読者に想定した岩波ジュニア新書の『詩のこころを読む』という本のなかで、かの女はいう。


「この詩のなかの遺失物係に人はいたのでしょうか。人気(ひとけ)のない駅。どうも無人だったような気がします。しかも、おとし物が何だったかも忘れてしまって、忘れたという感覚だけが残っていて。途方にくれて。すべてが曖昧で、それなのに、へんに澄んだ世界です」と。そして、「『とんでもないおとし物』とは何だったのかしら? 前生(ぜんせ)というものがあるなら前生の記憶だったかもしれないし、或いは『はィ』と答えて引きうけた、重大任務の何かだったかもしれません。何か大事なものを忘れているという、この『忘れものの感覚』は、詩の大きなテーマの一つです」とつづけている。


茨木のり子は、得体のしれない「忘れものの感覚」へと読者の意識をいざなう。そして、その余韻が消えさってしまうまえに、吉野弘(1926-2014)の「I was born」という詩を紹介する。


「確か 英語を習い始めて間もない頃だ」というのが1行目のこの散文詩は、けっこう長い。その全部をまるごと引用することはできないけれど、英語を習いたての中学生の少年(すなわち「僕」)は、「或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いてゆくと」向こうからやってきた身重らしい女の「腹のあたり」に「頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを」連想し、「それがやがて世に生まれ出ることの不思議に打たれていた」。次の詩文がつづく。

少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は〈生まれる〉ということが まさしく〈受身〉である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。

 ――やっぱり I was bornなんだね――

父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。

 ――I was bornさ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――

詩のつづきではこのあと、「父」が「蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら 一体何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね」と「思いがけない話」を「僕」にする。「父」は、あるとき友人にそのことを話し、友人はある日、「父」にカゲロウのメスを拡大鏡で見せてくれたという。その「口は全く退化して食物を摂(と)るに適しない」のに「卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる」のを「父」は見た。それは「つめたい 光りの粒々だったね」とは「父」の感想だ。ここから先は詩をそのまま引く。

私が友人の方を振り向いて〈卵〉というと彼も肯(うなず)いて答えた。〈せつなげだね〉。そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは――。

父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく僕の脳裡に灼(や)きついたものがあった。

 ――ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体――。

「生まれるのは『受身形』である、という文法上の発見からこの詩は成り立っています。誰でも英語を習うとき、そのように教えられますが、ただ、まんぜんと『受身形か……』でやりすごすことに、吉野弘はアッと立ちどまって一篇の散文詩にしました。もちろん長い時間をかけて。アッと思った詩の種子が開花するまで、十年はたっているでしょう」

 

茨木によると、この詩は英訳もされている。日本語では「生まれた」というものが英語では「生まれさせられた」になるという幼い吉野の「発見」は、英語圏の人にとっても新鮮な「発見」になるかどうかはわからないけれど、「一人の人間の生誕が持つ奥行きの深さ、生誕にまつわる神秘」を、この詩は「開示してくれています」と茨木はまとめている。


『詩のこころを読む』の「はじめに」で、著者の茨木のり子は、「いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。いい詩はまた、生きとし生けるものへの、いとおしみの感情をやさしく誘いだしてもくれます。どこの国でも詩は、その国のことばの花々です」と書いている。「私を幾重(いくえ)にも豊かにしつづけてくれた詩よ、出てこい!と呪文(じゅもん)をかけ」たら「まっさきに浮かびあがってきた」詩を集めたものがこの本である、と著者は述べる。それらの詩は、「1 生まれて」「2 恋唄」「3 生きるじたばた」「4 峠」「5 別れ」の5つのセクションに腑分けされ、茨木はそれらのひとつひとつについて、「なぜ好きか、なぜ良いか、なぜ私のたからものなのか」を検証し、「若い人たちにとって、詩の魅力(みりょく)にふれるきっかけにもなってくれれば、という願い」をもってこの本を書いた、といっている。一読をすすめる。


ここに紹介したこの本からの詩は、いずれも「1 生まれて」の項目にあったものだけれど、「5 別れ」には、茨木をして、「完璧としか言いようがありません」といわしめた石垣りん(1920-2004)の詩が引かれている。タイトルを「幻の花」という。

幻の花   石垣りん


庭に

今年の花が咲いた。


子供のとき、

季節は目の前に

ひとつしか展開しなかった。


今は見える

去年の菊。

おととしの菊。

十年前の菊。


遠くから

まぼろしの花たちがあらわれ

今年の花を

連れ去ろうとしているのが見える。

ああこの菊も!


そうして別れる

私もまた何かの手にひかれて。


――詩集『表札など』

茨木のり子はいう。


「菊ばかりではなく、人もまた幻の花かもしれません。個性などといい、なにか一人だけ特別なことをしているようなつもりでも、ほんのひとときを咲いて、たちまち祖霊たちに連れさられてゆく存在かもしれないのです」と。そして、「素直によむと幻の花は、先祖の菊たちに思えるのですが、天の摂理(せつり)、自然の法則まで包みこんだ、大きくはるかなものを指しているとも言えます」と、読者の視野をひろげる。「そうして別れる/私もまた何かの手にひかれて」という詩の最後の2行に焦点を合わせて、「何かとは何か? 何かと言うしかない、何かなのでしょう」と書く。「何か」が「何」なのかを明示しないのは、僕たちが性急な「答」を出してしまうのをいましめてのことだ。


さて、最後に「別れ」をモチーフにした石垣りんの詩を紹介したのは、最後の最後に、「勧酒」(かんしゅ)なる漢詩をもって稿を閉じたい、という思いがあったからである。


以下に紹介する五言絶句の作者は于武陵(うぶりょう)とされているが、ここに引くのは文化勲章の受賞者でもある大作家の井伏鱒二(1898-1993)によるその訳詞である。井伏の『厄除け詩集』(講談社文芸文庫)に寄せた同書巻末の大岡信のエッセイによれば、訳詞といっても、井伏の「訳」は、「中国の詩の翻訳、というよりも翻案である」。すなわち、それじたい、井伏の創作といってもいいぐらいの名調子だ。訳文のみを読まれたい。

勧酒   于武陵(井伏鱒二訳)


コノサカズキヲ受ケテクレ

ドウゾナミナミツガシテオクレ

ハナニアラシノタトヘモアルゾ

「サヨナラ」ダケガ人生ダ

茨木のり子の選には入っていないし、いまさら、この詩に僕の解説をつけるのも不粋だ。けれど、はじめに引いた「二十億光年の孤独」のなかで、谷川俊太郎がよんだ「引きあう孤独の力」のことをふとおもう。「一ぱいの葡萄酒」を、その孤独は引き寄せるのにちがいない。


なぜなら、「サヨナラ」ダケガ人生ダ、なのであるし。

Illustrated by 坪本幸樹

連載タイトルについて

永井荷風がほぼ1年のフランス遊学を終えて、日本に帰る船にロンドンから乗ったのは1908(明治41)年6月のことであった。『ふらんす物語』として翌年に公刊されるはずが風俗を乱すとして発禁処分となり、後年(1915年)、日の目を見たこの本のなかに、「1908年6月船中にて」とのただし書きのある「巴里のわかれ」というタイトルの小文がある。


それは、日本に帰るべく、パリから列車に乗り、ディエップ港で船に乗り換えて英仏海峡を渡ってロンドンに投宿した荷風が、ヨーロッパで過ごす最後の晩の食事をとりに外出し、辻馬車の御者にたずねて、「フランス人の居留地」があるというオックスフォード・ストリートの、とある「汚い安料理屋」に入ったときの回想をつづったものである。そこは「懐しい三色の国旗がユニオンジャックの旗と差し違いに出してある料理屋」であった。荷風は書く。


「……入口に近く、よごれた白布(ナップ)を敷いたテーブルには三人の職人風の男、中央(まんなか)には商人らしい男が四五人、稍(すこし)離れた片隅には醜からぬ女が一人坐っていた。その服装、容貌、帽子の形、見すぼらしいけれども一目見て特徴の著しい『巴里女』(パリジエーヌ)である。自分はさながら砂漠の中に一帯の青林(せいりん)を見出したような気がした」と。


そうして、その「パリジエーヌ」が、「汚れた壁に添うた汚れたテーブルの上に片肘をつき、物思わし気に時々は吐息をもつくようで、手にした肉叉(にくさし)に料理をさしながら食べようともせず、蝿の糞で汚れた天井を現(うつつ)に仰いでいる様子は、どうしても異(ちが)った国から移植(うつしう)えた草花の色もあせやつれた風情である」として、荷風は、その「もの淋しく物哀れ」な様子に「漂白(さすらい)の悲しみを覚え」、こう述べる。


「あの女はどうしてあの美しいフランスを去ったのであろう。若しこれが巴里の街であるならば、同じ場末の安料理屋にしても、アブニューを蔽うマロニエの若葉の蔭、道端のテラスで、紫色に暮れて行く街の人通を眺め、何処からともなく聞えて来るヴィヨロンの調(しらべ)を聞きながら、陶然一ぱいの葡萄酒に酔おうものを……と今は他人(ひと)の身の上ならぬ過ぎし我が巴里の生活を思いはじめる」と。


このとき、荷風の想念をよぎった「一ぱいの葡萄酒」への万感のおもいは、また、歓びはいうまでもなきこととして、「漂白の悲しみ」をも縁なしとしない僕(たち)のおもいでもある。葡萄酒は飲まれるべきものばかりではない。それは(ぜひとも)語られるべきものでもある。そして、葡萄酒をめぐる語りは、願わくば、「一ぱいの葡萄酒」の美味を増すものであってほしい。そんなおもいをこめて、この連載のタイトルを「一ぱいの葡萄酒」とすることにした。(鈴木正文)

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