イタリアのワイン業界の中で、圧倒的に、世界的に有名なのが、ピエモンテのアンジェロ・ガヤでしょう。百台もの車両を牽引する蒸気機関車のように、存在感と自信とエネルギーに溢れ、いろいろな困難に挑戦して話題を提供してきました。
ガヤが造るワインの中で、「知名度が高く、価格も高いのにヘンな名前のワイン」の代表が、「ダルマジ」でしょう。
「ダルマジ」は、「残念だ」を意味し、ピエモンテ地方の方言とのこと。日本人の感覚だと、京都伏見産の日本酒に『残念どすなぁ』と名付けるようなものでしょう。
この他にも、ガヤのラインナップには日本人に不思議な名前のワインがあり、なぜ、高級高価なワインにそんな名前を付けたのでしょうか?
2002年にガヤが来日した時にインタビューするチャンスがあり、そのあたりの「聞きにくい事情」を根掘り葉掘り聞き、真相を探りました。
目次
ダルマジになった経緯
アンジェロは、ガヤ家の4代目で最初にワインを造ったのがジョヴァンニ・ガヤでした。17世紀のことです。
ガヤ家では初代から、ジョヴァンニとアンジェロを交互に名乗っています。奇数代目はジョヴァンニで、偶数代がアンジェロ。「燃える闘魂」の現当主のアンジェロは、お父さんと息子の両方がジョヴァンニとなります。
3代目のジョヴァンニがアンジェロに家督を譲り、アンジェロが当主になった1978年のこと。38歳のアンジェロが突然、上質のネッビオーロが植えてあった畑から、ブドウ樹を引き抜き、外国品種の(というより敵国フランスを代表する品種)カベルネ・ソーヴィニヨンを植え始めたのです。
それを見たお父さんのジョヴァンニは、「ガス瞬間湯沸し器」みたいな息子の性格をよく知っていたのでしょう、ピエモンテ地方の方言で一言、「残念なことだ(Darmagi)」と言っただけで、息子の好きにさせたそうです。これが、これが「ダルマジ」の名前の由来です。
ガヤ家の世代交代
この辺りの事情をインタビューで聞いたところ、アンジェロは次のように言っていました。
「ヨーロッパのワイン生産者の世代交代は、非常に緩やかです。これには、良い面と悪い面があって、良い面は長い時間をかけて父親の技術やビジネスの方法を習得し、相続できることですね。家族で過ごす時間が長いので、伝統が少しずつ着実にDNAの中へ入ってきます。
悪い面は、若い人がなかなか全権を持てず、自分の好きにできないことでしょう。なんでも自分の自由になる頃には、寿命の残りが少なくなってきます。
私は、24歳でワイン業界に入り、40歳でやっと、いろいろ冒険ができるようになりました。とはいえ、私のDNAの中には、伝統が染み込んでいたので、古いものを捨てて、急に新しいことはできません。若い人のDNAにある『伝統』が、無意識のうちに、ブレーキになるのです。
私の『伝統』とは、『ピエモンテでは、単一品種100%でワインを造らねばならない』でした。なので、無意識のうちに、カベルネ・ソーヴィニヨンだけで、ワインを造ろうと思ったんでしょうね。
古いものを捨てて、新しいことを始めたけれど、結局『伝統』に縛られていたんです。『ダルマジ』を造り始めて25年になりますが、今になって、父親は正しかったと思います。
ネッビオーロに比べると、カベルネ・ソーヴィニヨンは、良い年とそうでない年の差がはっきりしています。1961年や1982年みたいに良い年は別にして、カベルネ・ソーヴィニヨンには、必ず青臭い香りや植物臭さが出ます。これが好きな人もいるでしょうが、私は好きではありません。
父親がカベルネ・ソーヴィニヨンに反対したとき、畑に一番適しているブドウはネッビオーロだと知っていたんですね。科学的な根拠はありませんが、長年の経験と勘でしょう。
ピエモンテの2000年の歴史が、ネッビオーロを選んだのです。父親は、『息子が最良のブドウ品種を引き抜いた』と思ったでしょうし、私は、『ダルマジ』の畑でもっと爆発的なワインを造りたかったのですが、無意識のうちに『伝統』に縛られて果たせませんでした。
この欲求不満は、とても大きい。ワイン造りの意味では、このワインは、父親と私の両方にとって『ダルマジ』であり、『ダルマジ』は、世代の衝突を的確に表現した名前だと思います。
ただし、マーケティングの意味では、カベルネ・ソーヴィニヨンを植えたのは正しい判断だと確信しています。
世界中のどこでもカベルネ・ソーヴィニヨンを造っていますので、どんなブラインドテイスティングにも参加できます。
他の生産者と同じ土俵で戦えるので、スゴいものを造れば、世界の注目を集められます。ネッビオーロだとこうは行きませんからね」
ダルマジの第二候補は?
それにしても、なぜ、そんな風変わりな名前を付けたのでしょう?「ダルマジ」に決まるまで、第二、第三候補の名前は何だったのでしょうか?
「私は、ワインに地名を付けるのは好きではありません。だって、地名は私のものじゃありませんからね。長い間の歴史がその土地に名前を付けたんです。私がワインに付けたい名前は、自分の感情や歴史を表現できる名前です。
ピエモンテ地方には豊かな方言があるのですが、だんだん消えつつあります。息子の世代は方言をしゃべろうとしません。100年後にはキレイさっぱり無くなってしまうでしょう。
方言は、文化遺産だと思っていますので、ぜひ、残したいと思いました。『ダルマジ』はピエモンテ地方の方言ですし、私と父親の世代衝突を的確に表現していると思っていますので、とても気に入っています。
第二候補の名前は覚えていませんが、多分、よく似た雰囲気の言葉だったと思います。
何回か日本に来ていますが、交通渋滞で相手が約束の時間に遅れたときに、私の顔を見るなり、『ダルマジ』と言った日本人がいました。『ダルマジ』が日本で受け入れられて、嬉しく思いましたし、ピエモンテで消えかかっている方言が日本で生きていて感動しました。日本人のそんなユーモアのセンスが大好きです。
ワインの名前として、ユーモラスな名前も好きですが、重々しくて深刻な響きのある言葉は好きではありません。例えば、『オーパス・ワン』とか『ラ・ターシュ』は、私には重すぎると感じますね」
もう1つのヘンな名前「カ・マルカンダ」
アンジェロの話は止まりません。
「知っていると思いますが、私の本拠地のピエモンテ以外に、トスカーナで『カ・マルカンダ』というワインを造っています。今、私が最大の力を注いでいるのがこれです。
息子のジョヴァンニが跡を継いで、ピエモンテから私を追い出したら、『カ・マルカンダ』に逃げてこようと思っています」
そう言うと、アンジェロは豪傑笑いをしました。ピエモンテは、日本なら大阪・京都という感じでしょう。ガヤは浪速の凄腕豪商の雰囲気があります。
一方、トスカーナは、武士が仕切る堅苦しい江戸なので、豪放磊落の浪速商人であるガヤは苦労しているのかもしれません。
「カ・マルカンダ」は、「望みのない交渉」を意味するピエモンテの方言だそうで、この畑を売ってもらおうと、何度も所有者と交渉したけれど、ことごとく断られてしまいます。20回近い交渉の末、やっと畑を売ってもらいました。京都伏見産の日本酒に、「またダメどすなぁ」と名前を付ける感じでしょう。
アンジェロの話は続きます。
「この『カ・マルカンダ』を造るのに、物凄い苦労をしましたし、時間もかかりました。この『またダメどすなぁ』という、軽い名前とのギャップがとても気に入っています。
苦労をしたワインに軽い名前を付ける、そして、軽い名前なのに飲んでみたら極めて凝縮度の高いワインという2段構えの驚きを狙いました(と言いながら、とても得意そうに微笑みました)
なお、ピエモンテは前にも言ったように、基本的には単一品種でワインを造りますし、テロワールという考え方が強い。その『テロワール主義』という考え方をトスカーナに持ち込んだのが『カ・マルカンダ』です」
シンプルなラベルの理由
「ワインの品質だけでなく、名前でも皆を驚かせたい」は、アンジェロのDNAに刷り込まれているのでしょう。名前はよいとして、「ダルマジ」にしろ単一畑の銘醸ワイン「ソリ・ティルデン」にしろ、何でラベルがあんなに素っ気ないのか、いつも不思議でなりません。
近所にいる絵心のある高校生にデザインさせたのでしょうか?アルマン・ルソーのシャンベルタンみたいに、総天然色の派手なラベルにしろとは言ませんが、もう少し芸術的要素があってもいいのではと思います。そう言うと、アンジェロはニヤッと笑って答えてくれました。
「私は、シンプルなラベルが好きで、ゴテゴテと飾ったのは好みません。だから、白と黒だけを使い、文字だけを配して単純なラベルにしたんです。
トスカーナで造っている『プロミス』『マガーリ』『カ・マルカンダ』もシンプルなラベルで、必要最小限のことしかラベルに書いていません。
ボーリング大会の賞品は「カ・マルカンダ」?
カ・マルカンダのラベルを見るたびに、ボーリングのストライクのマークを連想してしまいます。ボーリングの大会で優勝した選手への賞品として、これほどピッタリのものはありません。
特に、ストライクを12回連続で取ったパーフェクトゲームの賞品として、カ・マルカンダを1ケース、12本プレゼントし、12回のストライクをお祝いしてはいかがでしょうか?
あるいは、ストライクの数だけ、カ・マルカンダをプレゼントするのもアリですね。かなり高価ですが、パーフェクトゲームという偉業に相応しいプレゼントですし、価格です。
カベルネ・ソーヴィニヨンの次はピノ・ノワール?
カベルネ・ソーヴィニヨンで大成功したのなら、次は、赤ワインのもう1つの国際品種、ピノ・ノワールに向かうのが自然の流れ。ピノ・ノワールを造ろうとは思わなかったのでしょうか?
「ピノ・ノワールも何回か試したのですが、結局はダメで諦めました。私は造るつもりはありませんが、ジョヴァンニの代にやるかもしれない。
もし、息子が、『ダルマジ』の畑からカベルネ・ソーヴィニヨンを引き抜いて、代わりにピノ・ノワールを植え始めたらどうするか?『ダルマジ』と言うか?
いやいや、『ダルマジ』じゃあ生ぬるい。もう、罵り倒すでしょうね(と言いながら、ワッハッハと大笑い)。
でも、それだけ。後は、気が済むように、やらせますよ」
どんな意地悪な質問をしても、最後は、「イタリアは素晴らしい」「ワインは美味い」という結論になってしまいました。
それもこれも、世界のワイン界の第一線で頑張ってきたアンジェロの貫禄ですね。