世界の国旗のデザインの人気投票をすると、「大蛇を咥えたワシがカッコいい」とメキシコの国旗が上位に入るそうです。ボルドーワインのラベルの人気投票をすると、「塔の上のライオンが強そう」とシャトー・ラトゥールが大人気になります。
今回は、世界のワイン界に君臨する5大シャトーの1つであり、最も男らしくて勇猛なイメージのあるラトゥールを取り上げます。ラベルの雰囲気通り、実際にも男らしく勇敢なのです。
セギュール公とのつながり
カロン・セギュールを取り上げたコラムでも書きましたが、ポイヤック村、サンテステフ村を含むメドック一帯の大地主が代々のセギュール公です。18世紀、ニコラ=アレクサンドル・ド・セギュール侯爵(1695年―1755年)が、1716年にラフィットとラトゥールを相続し、1718年にはムートンとカロン・セギュールを買収しました。
一時、ポンテ・カネとダルマイヤックも所有していたことから、セギュール公は「ワインのプリンス」と呼ばれます。1855年のメドックの格付けシャトーの10%も所有していたので、当然ですね。
ちなみに、100年後の1825年にはセギュール家が所有する森林部分の土地を売却し、そこがブドウ畑になって、後のシャトー・モンローズとなりました。
フランスとイギリスを行ったり来たり
日本では紫式部が『源氏物語』を書いた少し後、鎌倉幕府ができる前のこと。
フランスのギヨーム10世の長女でアキテーヌ公女のアリエノール・ダキテーヌが、フランス王のルイ7世と結婚し、後に離婚してイングランド王、ヘンリー2世と再婚しました。これによって、ボルドーを含むワインの大生産地、アキテーヌは自動的にイングランド領になったのです。
ここから、ボルドーがイギリス領になったり、フランス領になったりします。以降、300年に渡り、ボルドー地方を巡って、イングランドとフランスの間で戦争を繰り返しました。
戦争とはいっても、小学校の同じクラスの悪ガキ2人が隣同士の机に座り、消しゴムや鉛筆で嫌がらせをするような小競り合いだったそうです。
この戦争の勝利の女神となったのが、あのジャンヌ・ダルクで、ボルドー地方から英国軍を追い払い、一気にフランスが勝勢になります。1453年、ついにタルボット将軍率いるイングランド軍がカスティヨン(ドルドーニュ川右岸のサンテミリオンの東)の戦いに敗れ、ボルドーはフランス領になりました。
タルボット将軍の敗戦はボルドーの人に哀愁を感じさせるようで、日本人にとって、源氏と平家が戦った一之谷の合戦で源氏の武将、熊谷直実が泣く泣く16歳の平敦盛を討ち取った悲話の雰囲気があるのでしょうか。ボルドーの人々はイングランドを愛しており、悲劇のタルボット将軍は、シャトー・タルボの由来となりました。日本で言えば、日本酒に「敦盛」と名前をつける感じですね。
時代が下って、ラトゥールは前述のセギュール公が取得し、以降、セギュール家と子孫のボーモン家が300年に渡って継ぎ、1855年の格付けでもトップの1級シャトーになります。
最初の東京オリンピックを開催した1964年の前年、没落したボーモン家はラトゥールを維持する財政的な余裕がなくなりました。イギリスの石油会社と出版社を擁するピアソン・グループに株式の75%を売却し、経営権がイギリスに移ります。
買収価格は300万ドルで、消費者物価指数を考慮して今の貨幣価値に換算すると、50億円前後です。
ピアソン家は名門復活のため、75万ドル(約12億円)を追加投資して設備を一新しました。イギリスはボルドーに愛があるので、ここまで一生懸命になります。
また、これまで長い間、深い関係にあったイギリスだから、ラトゥール側も株式を売ったのです。
ラトゥールのこの時の最大の改修は、古くなった発酵槽をステンレスタンクに入れ替えたことで、ボルドー中の人が驚きました。歴史を重んじる1級シャトーで、伝統的な木製の発酵槽を捨て、最先端の温度管理可能な醸造装置を設置するとは何事だと非難が集中します。
琵琶法師がエレキギターで『平家物語』を語った感じでしょうが、最新技術の成果はすぐに表れ、翌年の1964年のラトゥールはメドックで最高のワインになりました(今でも、1964年は高評価です)。
1993年、ピアソン家は現在の所有者、フランソワ・ピノーに株式を譲渡。ピノ―家が筆頭株主となり、30年を経て、ラトゥールはフランスに戻りました。買収価格は1億2600万ドルで、今の貨幣価値に換算すると150億円前後となります。
アルザスの人は、「頭はドイツ、心はフランス」でしたが、ボルドーでは百年戦争の後も、「頭はフランス、心はイギリス」との思いが強くありました。
また、当時、世界で最も豊かな国だったイギリスの美食を支えたのが、ボルドーの赤ワインでした。
どんな業界でも、当時、イギリスで大人気になることは、世界でのトップを意味します。昔の日本で言えば、「江戸で大成功する」のと同じですね。
ボルドーとイギリスは、「ワイン」と「気持ち」の両面で強く結びつき、相思相愛の仲になりました。
塔のお話
ラトゥールは「Latour」ですが、元は「La Tour」で「ザ・塔」です。
フランス語の冠詞がくっついた例はワインで多く、ルロワは「Le Roy(ザ・王様)」ですし、デュジャックは、「Vins du Jacques(ジャックのワイン)」ですね。
ラベルに描いた塔ですが、1300年代、ジロンド河を遡ってやってくる海賊を監視・撃退するために作った「サン・ラーベルの塔」が由来とのこと(諸説あり)。
後の百年戦争でのイングランドの最後の戦いでは、タルボット将軍がこのサン・ラーベルの塔を砦にし、最後までボルドーに留まって戦死します。この塔が1級ワインのラベルに描いた塔で、戦争の雰囲気がたっぷりありますね。
イングランド軍の敗退とともにフランスは塔を壊しましたが、1620年代に当時の石材を使って建て直しました。ただし、場所は昔とは違い、用途も、砦ではなく、鳩小屋だそうです。
当時、伝書鳩は非常に重要な通信手段で、鳩の発進・帰着のための塔だと思います。この塔が現在、畑の真ん中に立っている丸い天井の塔で、サードラベルに大きく描いてあります。
ランクロとビオデナミ
ラトゥールは、78haもの広大な畑を所有し、セカンドラベルとサードラベルも造っています。看板のラトゥールに使うブドウを栽培している37haの区画がランクロです。
1963年に、大胆にステンレスタンクへ転換したように、ランクロでは、2008年から、有機農法とビオデナミへ半分ずつ転換を始め、2015年に完了し、2018年にはエコセールの認証も取りました。ラトゥールでは、2015年ヴィンテージから、100%自然派ワインになります。
土を固めないよう、ブドウ畑を馬で耕す風景はブルゴーニュやロワールの自然派生産者の畑で見かけますが、ラトゥールには馬が8頭もいて、ランクロを耕しています。これだけ広い畑を馬で耕すのはとても面倒。自然派農法に対するラトゥールの本気度と資金力が見えます。
なお、人間も畑の土を固めないよう、自転車や軽い電気自動車で移動するそうです。
プリムールから離脱
2012年4月、ラトゥールが2011年ヴィンテージを最後にプリムールを止めるとのニュースが流れ、世界中のワイン愛好家はビックリしました。なぜ、そんな決断をしたのでしょう。それを知るためには、プリムールを知る必要があります。
高級ワインは、秋に収穫したブドウを発酵させてワインを造り、樽に詰めて2、3年熟成させ、ボトルに詰めて出荷します。販売まで2、3年かかり、それまでワインは換金できず、収入にはなりません。
この反対がボジョレー・ヌーヴォーで、収穫して2ヶ月後の11月にはワインになって販売するため、生産者には嬉しいワインです。
早くお金が欲しいボルドーの生産者が考えたのが、収穫の翌年の春、樽に入った状態でワインを先物として販売するシステムです。先に代金を払い、現物が届くのは樽熟、瓶熟を経た2、3年後です。これがプリムールで、英語ではフューチャー・ワインと呼びます。
200年ほど前にボルドーで始まったシステムですが、今ではブルゴーニュやローヌでもやっています。日本でも、1995年からエノテカが始めました。
プリムールの順番ですが、まず、収穫の翌年の4、5月ごろ、評論家やワインライターがボルドーへ行き、シャトーの樽出しサンプルワインを試飲します。試飲結果をワイン専門誌に載せ、その評価を見て、特に、ロバート・パーカーの評価を考慮して、シャトーはプリムールの初値を決めます。以降、輸入代理店経由でワインショップがプリムールを販売するのです。
ワイン専門誌の発行部数が最も伸びるのが、5月号の「プリムールの試飲結果」です。ワイン・アドヴォケイト誌やワイン・スペクテータ誌に、「シャトー・ラトゥール93~96」のように点数と2、3行の簡単なコメントが載り、愛好家は評価と売り出し価格を見て、どのシャトーのワインを買うか、楽しく迷うのです。
これは、野球が得意な小学1年生を一人ずつ評価して、15年後にどの程度の選手になっているか、プロのレベルかアマチュアかを予想するようなものです。
プリムールの良い点として、ポムロル村のワインのように、微量生産のワインを確実に入手できますし、ジェロボアムやマチュザレムのような大型ボトルの注文も受けてくれます。良いヴィンテージの場合、一般に、現物が2、3年後にワインショップに並ぶ時の価格より、プリムールの価格の方がかなり安くなります。
顕著だったのが1982年で、ロバート・パーカーだけが1982年を大絶賛して、プリムールを買うよう強く薦めたのですが、他の評論家が完全無視。結果は、皆さんもご存じのように、1982年は世紀のヴィンテージとなりました。
ペトリュスの初値は1本50ドルでしたが、現物がアメリカへ届くころには500ドルを越え、プリムールで買っていた愛好家は大儲けしました。今でも「第2のペトリュス1982」を夢見ている愛好家は大勢います。
この事件はアメリカ人の愛好家の脳みそに深く刻まれ、同時に、ロバート・パーカーの名声が定まった出来事でもあります。
ラトゥールの勇気と良心
プリムールには問題点もあります。現物が手元に届くのは2、3年後なので、その間にワインショップが倒産すると、ワインは配送されず、お金も返ってきません。
為替の変動により、1984年物のように、現物が国内へ届いた時の方が安くなる場合があります。シャトー側は、樽に入れて数ヶ月の状態でブレンドし、評論家に試飲させねばなりません。
野球がうまい小学校1年生を全国から集めて、その中から9人を選び15年後のプロのチームを今から編成するようなものです。ラトゥールは、これを嫌がりました。
ラトゥールは、ブドウの品種ごとに樽熟成させ、良い樽のものを集めてブレンドし、瓶熟成までさせて、万全の状態で出荷したいと考えました。甲子園や神宮球場に出場したトップレベルの高校生や大学生の中から9人を選ぶと、レベルの高い即戦力のチームを編成できます。
ラトゥールでは、今でも、収穫の翌春に実施する「樽からの試飲」は続けていますが、プリムールでは販売せず、瓶熟を経て飲み頃になったボトルをプリムールの前に出荷しています。
ラトゥールは、20年前に比べて10倍以上値上がりしている1級シャトーのワインの異常な高騰に危機感を持っています。
10年以上前から、だぶついている世界の富はワインの投資に流れ、株や債券の取り引きのように、利ザヤを稼ぐ道具になっています。流動資本を英語で「liquid funds」と言いますが、皮肉を込めて、ワインを転がして稼ぐことも、こう呼んだりします。
ラトゥールがプリムールを止めた背景には、「ワインは飲み物であり、投機対象ではない。ワインの原点に戻ろう」との強いメッセージを感じます。
2011年を最後にプリムールで販売しなくなったラトゥール。瓶詰め前のワインを売るのがプリムールですが、ラトゥールでは瓶詰めしてもまだ売らず、長い瓶熟期間を経て飲み頃になったと判断した時に出荷します。
シャンパーニュのクリュッグも同じことをしています。ヴィンテージ物はじっくり熟成させ、飲み頃になって出荷するため、収穫年の順番が逆転することがあり、柔らかい1989年物のリリースの後にどっしりした1988年を出荷しました。
ラトゥールでは、2021年3月にやっと2012年物を出荷しました。セカンドラベルとサードラベルは通常通りにリリースするとはいえ、売り上げ高が圧倒的に大きい看板ワインを9年もの長期瓶熟の後に出荷するには、熱い志だけではなく、潤沢な資金力がないとできません。収穫の10ヶ月後にはお金が入るプリムールとは正反対の道を歩んでいます。
ラトゥールは、ボルドーワインをあるべき姿に戻そうとしています。ラトゥールは、自分が造ったワインに自信と誇りを持っており、生産者の勇気と良心が見えます。
塔に跨ったライオンは、こちらを見て「ワインは飲むものだ。そして、これがボルドーのワインだ」と吼えているのです。ラトゥールの勇気と志がボルドー全体に染み込み、ボルドーの高級ワインが「飲み物」に原点回帰するか、注目したいと思います。
ラトゥールをプレゼントしたいなら
ラトゥールは1966年から、セカンドラベルとして「レ・フォール・ド・ラトゥール」を、1990年からサードラベルとして「ポイヤック」を生産しています。
看板のグラン・ヴァンは、銘醸区画のランクロだけで造りますが、このセカンドラベルとサードラベルではランクロと、それ以外の区画も使うとのこと。特に、セカンドは昔から非常に品質が高く、愛好家がたくさんいます。
ワイン愛好家へのプレゼントとして、このセカンドラベルがおススメです。その場合、サードラベルも一緒にプレゼントして、「こちらが今の塔で、こっちが昔、タルボット将軍が立てこもった塔です」と言えば、お相手も喜んでくれるでしょう。
また、セカンドラベルとシャトー・タルボの組み合わせも、意外性があって面白いと思います。お相手に「実は、イングランドのタルボット将軍がこの塔を砦にして、百年戦争を戦ったんですよ」と由来を説明すると「なるほどね」と頷いて、600年前にタイムスリップするでしょう。
勇気と信念と誇りを持って仕事をしている人には、少し高価ですが、グラン・ヴァンをプレゼントしましょう。勇猛なタルボット将軍が最期まで戦ったこと、良心にしたがい、勇気をもってプリムールを止めたことを言い添えると、お相手は大喜びするに違いありません。
シャトー・ラトゥールの商品一覧