夢追い人が創設した伝説のワイナリー「ジャン・レオン」

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レポート
公開日 : 2022.8.10
更新日 : 2022.8.10
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夢追い人が創設した伝説のワイナリー「ジャン・レオン」

かつて、マリリン・モンローなどのハリウッドスターや名だたる音楽家、政治家などが足しげく訪れたという高級レストラン「ラ・スカラ」。


このラ・スカラを開業したのが、スペイン生まれの実業家、ジャン・レオン氏です。


レストラン開業という大きな夢を成し遂げた彼は、第二の夢として、カタルーニャの地にワイナリー「ジャン・レオン」を立ち上げました。スペインで初めて国際品種であるカベルネ・ソーヴィニヨンを使ったワインを生み出すなど、スペインワインの歴史に大きな影響を与えています。


まるで映画のようなサクセスストーリーを歩んできたかのように思われるジャン・レオン氏ですが、ワイン造りに至るまでには挫折や苦労、そしてそれらを乗り越える情熱と行動力がありました。


今回は、ジャン・レオン氏の波乱の生涯と、ワイナリー設立までの軌跡を辿りたいと思います。

目次

夢追い人、ジャン・レオン氏

ジャン・レオン氏

今から遡ること、94年。


夏にはたくさんの海水浴客が訪れるスペイン北部の湾岸都市、サンタンデールで、後の実業家ジャン・レオンは誕生しました。


両親と8人の兄弟に囲まれ、すくすくと育ったジャン・レオン。


しかし、彼が12歳のときに一家に悲劇が襲い掛かります。


サンタンデールで大火災が発生したのです。その被害は膨大で、サンタンデールの美しい街並みは見る影もなくなってしまいました。


ケガ人こそ出なかったものの、住むところをなくしたジャン・レオン一家。彼らは安住の地を求め、サンタンデールから500km以上離れたバルセロナに移住することになりました。


移住先のバルセロナで、落ち着いた生活を取り戻したかと思った矢先。またしても、一家に悲劇が襲い掛かります。


なんと、父と兄が働いていた商船が爆破され、共に命を落としてしまったのです。


稼ぎ頭であった2人を亡くした一家は、失意の底に。一家の経済状況も悪化し、なんとも苦しい生活を余儀なくされました。


そんな生活が6年も続いたある日。19歳になったジャン・レオンは、長年考えていたあることを実行に移します。


それは、故郷スペインを離れるということ。


彼の決意は固く、ある晩「ガールフレンドとディナーに行く」と言い家を出たジャン・レオンは、3人の友人と共に街を出発。遥かなるピレネー山脈を歩いて超え、ついにはフランスへ渡ったのでした。


ジャン・レオンの行動力は、これだけに留まりません。フランス国内を転々とした後、彼は新たなる地を求めて密航船に乗り込もうと試みます。


もちろん、現実は甘くはありません。なんとか船に乗り込もうとするも、すぐに見つかってしまいます。


しかし挑戦すること8回目。フランスの北西部ル・アーヴル港から出港する船で、ついに密航することに成功。アメリカに上陸したのです。


ジャン・レオンの類稀なるアメリカンドリームが幕を開けた瞬間でした。

アメリカンドリームのはじまり

ジャン・レオン氏とお客様

1949年、アメリカへたどり着いたジャン・レオン。


そして後に彼の運命を大きく変えることとなる、ハリウッドの地に足を踏み入れます。


昼夜問わず働き、昼はタクシー運転手、夜はフランク・シナトラと伝説的野球選手ジョー・ディマジオが所有する人気レストラン「ヴィラ・カプリ」でウェイターとして従事。


英単語さえもままならなかった中、持ち前の器量の良さと仕事人気質で周囲の信頼を獲得していきます。


そしてすぐにシナトラの信頼を得て、シナトラのアシスタントへと昇り詰めたのでした。


その後彼は、ナタリー・ウッド、グレース・ケリーといった黄金時代の映画スターと出会い、交流を深めていきます。


中でも、既に有名映画で主役を演じていた当時の人気俳優、ジェームズ・ディーンとは親友と呼べる仲に。そして2人は「ハリウッドで最も有名なレストランを開業する」という夢を掲げ、実現に向けて協力し合う日々を過ごすようになりました。


しかしジャン・レオンに、またしても悲劇が。1955年9月30日、カーレースに出場するためロサンゼルスからサリナスに向かったジェームズ・ディーンは、逆方向を走ってきた対向車と正面衝突し、命を落としてしまったのです。


ジャン・レオンはあまりに突然の出来事に悲嘆に暮れ、レストラン開業の準備も一時中断していまいます。


しかし、ディーンと描いた夢を一人でも継続することを決意。1956年4月1日に、ハリウッドの地で「ラ・スカラ」を開業しました。

レストラン「ラ・スカラ」

当時のハリウッドには、人気レストランが既に多数存在しました。しかし、ラ・スカラの優雅な雰囲気、イタリア料理を中心としたメニュー、そして25,000本以上の最高峰のワインは、他のレストランに引けを取りません。


瞬く間に人気レストランへと昇りつめ、ハリウッドセレブや音楽家、政治家たちの社交場となっていったのです。


レストランのファンの中には、マリリン・モンロー、ザ・ザ・ガボール、ジョン・F・ケネディ、マーロン・ブランド、ロバート・ワーグナーなど、錚々たる顔ぶれが集まっていたと言います。


亡きディーンと掲げた夢を叶えた彼は、いつしか「自身のレストランで提供する最高のワインを、自らの手で造り出したい」と考えるようになります。


そして第二の夢、ワイナリー「ジャン・レオン」の設立へと、突き進んでゆくのでした。

ワイナリー「ジャン・レオン」の設立

ジャン・レオン氏の農作の様子

彼が目指したのは「独特で他に比類のないワイン」でした。


持ち前の行動力で、まずは1962年にカタルーニャ州・ペネデス地方で150ヘクタールにも及ぶ土地を購入します。


当時、スペインはテンプラニーリョやガルナッチャなど、固有品種の栽培がほとんどで、カベルネ・ソーヴィニヨンをはじめとした国際品種のワインは造られていませんでした。


そんな中、ジャン・レオンは周囲の批判をものともせず、スペインの固有品種が植えられていた畑に、シャトー・ラフィット・ロスチャイルドやシャトー・パルメのカベルネ・ソーヴィニヨンやカベルネ・フラン、コルトン・シャルルマーニュのシャルドネなど、錚々たるシャトーや畑から取り寄せた苗木を植樹し、ブドウ栽培をスタートしたのです。


畑購入から約9年の月日が経った頃。カベルネ・ソーヴィニヨンを植樹した畑の一つ、「ヴィーニャ・ラ・スカラ」で収穫されたブドウで造った、初めてのヴィンテージワイン(1969)を、自ら所有するレストラン「ラ・スカラ」へ出荷することに成功しました。


念願であった、「ラ・スカラ」の顧客たちにふさわしいワインを造るという、第二の夢を叶えた瞬間でした。


ジャン・レオンが生み出すワインは次第に評価を高めていきます。そして、ワイナリーを世界に轟かせた決定的な出来事が。


1981年1月20日、ホワイトハウスで開かれたロナルド・レーガン氏の大統領就任式典で、ヴィーニャ・ラ・スカラ・カベルネ・ソーヴィニヨン・グラン・レゼルヴァ1975年(現在のヴィーニャ・ラ・スカラ・カベルネ・ソーヴィニヨン・グラン・レゼルヴァ)とヴィーニャ・ジジ・シャルドネ1980年が提供されたのです。


この出来事によってワイナリーはその名を世に知らしめることに。そして「スペインで初めて、国際品種の栽培を始めたパイオニア」という地位を確立したのでした。

こだわりのテロワールとワイン造り

ブドウ畑

しかし1994年、ジャン・レオンは進行性の喉頭癌と診断されてしまいます。今後のワイナリーの所有権や方針を模索しました。


ワイナリーを引き継ぎたいと、アメリカの起業家達から好条件の申し出が多くありました。しかし、それを断り、かねてから交流があったミゲル・トーレス氏にワイナリーの継続とワイン造りを託すことを決断します。


そして現在、スペインの名門トーレスが、ジャン・レオンの大いなる夢を受け継ぎ、ワイン造りへの飽くなき情熱に敬意を払いながらワイナリーの運営を行っています。


ワイナリーが重要視しているのは、オーガニック栽培です。2008年から有機農法を採用し、2012年よりすべてのワインがオーガニック認定(CCPAE)を取得しました。


現在ではトップキュヴェを生み出す「ラ・スカラ」を筆頭に、「ル・アーヴル」、「パラウ」、「ジジ」の四つの単一畑を所有しています。


それぞれの畑の名には、ジャン・レオンらしいストーリーを垣間見ることができます。


ラ・スカラは知っての通り伝説的レストランの名前が。ル・アーヴルは、アメリカへ渡る際に密航船に乗り込んだフランスの港町が、パラウは彼が生を享けた故郷サンタンデールにある宮殿の名が、そしてジジは愛娘の名前が名づけられています。

ワインボトル

ジャン・レオンのワインにかける情熱を引き継いだトーレスは、新たな挑戦を続け、さらなる進化を続けています。


夢を実現するために邁進した男が編んだ歴史を、しっかりと継承するために。

まとめ

ジャン・レオンの波乱万丈な人生と、彼が紡いだ二つの夢。


ジャン・レオンのワインを口に含むと、果実の旨味と共に、彼のワインにかけた情熱までもが身体に流れ込むような、そんな気持ちに筆者はなります。


スペイン生まれの夢追い人が生み出したワインを、あなたも味わってみませんか。

ジャン・レオンのワインはこちら

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